定期的にネットで議論になるが、電車の中の子供の泣き声や公共の場でのベビーカー問題。確かに子供の泣き声というものは大人が不快に思うように出来ているから、イライラする人もいるだろう。公共の場でベビーカーは迷惑だ、ベビーカーは親が楽したいだけの甘えだ、なんて考え方をする人もいるようだ。だけどその考え方が、結局自分自身の属する社会をギスギスした息の詰まるものにしてしまってると思うよ、僕は。僕たちだって赤ん坊の時に他人に迷惑をかけたのだから、今その迷惑を受け入れたらいいんじゃないかなあ。
子供を育てた経験の有無は問題じゃないんだよ。誰が言ったか知らないが、「子供怒るないつか来た道、年寄り笑うないつか行く道」なんて言葉があるように、僕らだってかつては子供で、周囲に迷惑をかけながら大きくなってきた訳でしょ。だったらそのかけた迷惑を、大人になって寛容になればいいだけの話。人間なんて生きてるだけで他人に迷惑をかけるんだからさ。その分、他人の迷惑を許せばいい。
とかまあ、綺麗事は置いといて、泣いてる子を抱えた親に「大丈夫ですか?」と声をかけて一緒にあやしてあげたりしたら、「えっ、あの人素敵…」なんて他の乗客から超もてそうな気がする。いや知らんけど、まあそれでいいじゃん。
赤ちゃんの泣き声に限らず、神経に触れる事なんて生きてたらたくさんあるよね。飲食店で料理が出て来ない、歩いてたら肩をぶつけられた…言い出したらキリが無い。でもそんな時にゆとりを見せて寛容になれば人間レベルがひとつあがるチャンス。僕はタクシーで嫌な思いをしたら、あえて多めに払って運転手さんにお釣りを全部あげる笑。イライラして文句言うより、断然胸がスッとするよ。それでも収まらないなら先日書いた「感情の相対化」を。
自分が甘えられなかったから、あいつも甘えるべきでは無い、あいつだけズルい、と考えるのでは無く、自分は辛い思いをしたからこそお前の気持ちがわかるよ、と考え方を転換出来れば良いのだけどね。まあそれが中々難しいのもわかるのだけど。僕らは多かれ少なかれ、他者に甘えを許されながら、生きている。
どうでもいいけど横の部屋からギシギシアンアン聞こえてくるのだが…。いかん、寛容寛容…ウワアアアアン!ヽ(`Д´)ノ