CAMPFIREで募集している北海道震災支援について、「偽善ですが支援します」という断りを入れてつぶやく方が本当に多い。もちろんとてもその行為自体には感謝しているしありがたいが、目の前で困っている人に手を差し伸べるのに、いちいち”善”だとか”偽善”だとか言う必要は無い、と僕は思っています。人と人は分かり合えない、と言う前提に、それでも手を差し伸べたい時は、見返りを求めず一方的にやれば良い。そこには善も偽善も無い。
僕らは「他人の痛みがわかる人間になりなさい」なんて育てられたが、それは幻想で、他人の痛みなんて当事者以外わかるわけないんだよね。それでも、目の前で血を流している人がいたら咄嗟に手を差し伸べるはず。人と人はわかりあえないが、一方的に思いやることは出来る。それは善も偽善も超えている。
「人と人はわかりあえる、わかりあえるはず」と幻想を抱くからこそ、わかりあえると思っていた近しい人と喧嘩したり意見や価値観が食い違った時に絶望してしまう。それは心のどこかで見返りを求めている。人と人は決してわかりあえない、という前提に立って付き合うことこそ真実だと僕は思っています。