Mediumの使い方がわからないまま、引き続きVineをやってみた。80000再生ほどされて「これ有名な変顔女子高生を抜いたんじゃないの!?」と一人でテンションが上がったが、全然桁が違った。虚しさだけが残った。虚しさのあまりツイッターの名前とアイコンを肉のハナマサにしてみた。数十分でフォロワーが500減った。そういうもんだと思った。虚しさだけが残った。虚しさのあまり昔作ったtumblerを復活させてみた。自作のプログラムを仕込んでたのがサーバーの仕様で動かなくなってたので、コードを書き直した。動いた。何気なく感動してしまった。虚しくは無かった。
昇る朝日に照らされて部屋を舞う埃を眺めながら、言葉にできないけど、ああ、こういうことだ、と感じた。カンジダ。部屋を掃除しよう、コードを書こう。何処かの誰かに褒めてもらおうと思うから、虚しくなるのだ。サザエbotの中の人が最近出した本の1Pにこう書いてあったのを思い出した。「あなたが多くの人に認められたいのは、多くの人に認められたということを、たった一人の人に認められたいからなのよ」
そうなんだよな。そしてその構造の、いびつな非対称性こそが、やる気の源泉になったり、逆に虚しさに繋がったりするんだよな。
どちらにしろ、遠くの多くの人でも身近なたった一人でも、幸せの価値基準を外に置いてる限り、虚しさはどこかで訪れる。死にたくなることは生きている限り何度も訪れる。そんな時まずやるべきことは、部屋の掃除なのだ。そして小さくてもいい、コードを書くことなのだ。どうせこんな世界、くだらない人生。同じ虚無なら、せめて半歩だけでも足を出してみようか。
僕はツイッターにログインして名前を元に戻した。部屋はまだ掃除してない(疲れたので)