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善だとか偽善だとか

CAMPFIREで募集している北海道震災支援について、「偽善ですが支援します」という断りを入れてつぶやく方が本当に多い。もちろんとてもその行為自体には感謝しているしありがたいが、目の前で困っている人に手を差し伸べるのに、いちいち”善”だとか”偽善”だとか言う必要は無い、と僕は思っています。人と人は分かり合えない、と言う前提に、それでも手を差し伸べたい時は、見返りを求めず一方的にやれば良い。そこには善も偽善も無い。

僕らは「他人の痛みがわかる人間になりなさい」なんて育てられたが、それは幻想で、他人の痛みなんて当事者以外わかるわけないんだよね。それでも、目の前で血を流している人がいたら咄嗟に手を差し伸べるはず。人と人はわかりあえないが、一方的に思いやることは出来る。それは善も偽善も超えている。… READ MORE

おにぎりを握る

いろんなことが複雑になり過ぎていて、例えば自分の給与がどういう経緯を経て口座に振り込まれてるのか全くわからない。わざわざ誰も説明したりしないしね。そこでね、例えばおにぎり屋さんみたいな小商いをやってみたらいいんだと思う。俺握る、お前買う、以上。大人のキッザニアとかも良いかもね。

僕が引きこもりから脱するきっかけになったのが新聞配達だったんだよね。ただ毎朝配るだけ。スキルもコミュ力もいらない。んでたまに早起きな爺ちゃんに「ありがとう」とか言われる訳。もちろん遅れて怒られることもあったけど。働く、なんてのは、社会との小さな結び目を作ってくことなんだと思う。

「働く」とは、生活の手段であるとともに、「自分とは何か?」という社会への帰属にも繋がる行為。仕事で後者が満たされない時、人は諦めや虚しさを覚える。やりたいことがない、本当の自分じゃない、自分は必要とされてない、なんて。それは社会との結び目がほどけようとしてる状態。だから焦る。… READ MORE

ワンオブゼム

“自分”という人間を一つのものとして考えるから、自分探しや自己実現なんてものを追い求めてしまう。見せ方なんて気にしてしまう。何者でもない自分、なんて現実を受け入れられず目を背けようとする。”本当の自分”なんて幻想で、あるのは自分という人間の生きてきた時間と状況の変化の積み重ねだけ。

ナンバーワンよりオンリーワン、もいいけど笑、自分なんてただのワンオブゼムであることを知る。自分なんて所詮、替えのきく大勢の中の一人な訳です。自分なんて存在しなくても、明日も世界は回り続ける。僕はよく、自分のいない世界を妄想するけど、その世界は今の世界と全く何も変わらない。… READ MORE

僕は血の繋がりにそれ程の意味を感じられずにいる。極論言うといくら血が繋がろうとそこにいるのは僕にとっても相手にとっても他人である。どこまで行っても他人である以上「わたしはあなたを一方的に愛する、それをあなたがどう思うかは知らないが」この態度しか無い。それ以上でも以下でも無い。

親だから、爺ちゃんだから、面倒を見なきゃいけない。最後まで看取らなきゃいけない。延命させなきゃいけない。その思い込みが自身を不自由にする。年寄りは若い人より先に死ぬ、その単純な前提に立つだけでいい。その上で自分がどう振る舞うか。そこで自分に責任を感じる必要なんて無い。

人間は血の繋がりに意味を見出そうとする。だけど所詮他人、わかりあえる訳なんて無い。血が繋がってるからわかりあえる、そんなの幻想だよ。わかりあえると期待するから、わかりあえない時に絶望する。わかりあえないのを前提に、どう一方的に愛するか。それしか無い。… READ MORE