一周忌

昨日は(昨年11月当時の記事です)自ら命を絶ってしまった友人の一周忌なのでした。「こうしとけば良かった」なんて当時は悔やんだが、どれだけ悔やんだところで彼は戻らない。ただ僕に出来るのは、彼が自分で決めた彼自身の生の終わりを尊重することだけ。そう思うしかないよね。人には死ぬ権利がある。悲しいけど。そう思う。

かつてイケダハヤト君の「なぜ人を殺してはいけないか」という記事が話題になったけど、僕の答えは「人には自分の生の最後を自分で決める権利がある」からだと思うんだよ。殺人はそれを侵害する行為だから駄目なんだ。でも行き場を無くした子が自殺するのは他殺だとも思う。だから駆け込み寺を僕はやっている。

いじめや就活や過労などで人は簡単に自ら死んでしまう。そんな腐った仕組みの中で病んだ子を見過ごすのは、もはやそれは自殺では無く他殺であり殺人だと僕は思う。病んだり死んだりする前に、周囲に迷惑をかけてでも全力で逃げて欲しい。いじめは絶対無くならない。学校や会社以外の逃げ場が無いのが問題だよ。

みんな水際ギリギリのとこを歩いてて、ふとした瞬間にその向こう側に行ってしまう。そんな時周囲は救えなかった自分を責めたりするが、もうね、あっという間に人はあっち側に行っちゃうから、気付き様なんて無いんだよ。人は人を救えない。僕らにできるのは、逃げ場の余白を作ってあげることだけなんだ。

人は人を救えたりなんかしない。救おうとするから、救えない時に絶望してしまう。そもそもね、人を救うなんておこがましいと僕は思う。僕らにできるのは、一方的に、わがままに、見返りを求めず「思いやる」ことだけなんだよね。思いやって、話を聞いてあげて、逃げ場になってあげる。それだけ。

人は人を救えない。人は人と絶対わかりあえたりしない。僕はそう思って人と付き合うし、相談に乗ったりしてる。もうね、諦めの境地。笑。だってどれだけ相談に乗ってあげても、死ぬ時はあっという間に死んじゃうんだもん。でも、そんな諦めの境地からしか、逃げ場なんて作れないと思ってるんだよなあ。

そんなポエムを未だに書きながら、僕は生きながらえてるよ。友へ。