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人付き合いとは面倒なもの

とある面倒事に巻き込まれイラっとしてしまったが、そもそも人付き合いとは一切の面倒を引き受けることなのだ、と思い出せた点で言えば感謝なのだ。巻き込まれたくなければ誰にも会わなきゃ良い訳だし、僕もまた別の誰かをイライラさせまくってる分(ごめん)、他人を許さなきゃね。まだまだ修行が足らぬ。

人付き合いとは本当に面倒なものだ。だけどそれはお互い様なのだし、結局のところ許しあうしかない。即ち、諦めの境地。人と人は決してわかりあえない。わかりあえないのを前提に、どう振る舞うか。負の感情に負の感情で返すのでは無く、受け入れて許せば、争いも起きない。それはある種の諦めなのだ。… READ MORE

諦め幸福論

幸せとは満たされることなのだとするならば、ほどよく適当なところで諦めるということもまた必要なのだろう。まあここらでいっか、ってね。もっともっと、と求めるうちは、決して満たされることは無いのだから。

もっと自分だけを見て、もっと自分の話を聞いて、と他者に求める気持ちもまた、いつまでも満たされず不満だけが増長していく。それはやがて依存や束縛を生み、お互いを傷つけるだけの結果で終わるだろう。相手に対し、適当なところで諦め、許し、受け入れる。それが満足するコツだとも言える。

もちろん人間だから、ここには無いものを手に入れたい、見たことない風景を見たい、自分だけを見ていて欲しい、そういった欲する気持ちは無くなることは無いだろう。夢や目標にチャレンジし続ける幸せもあるだろう。だけど、適当なところで諦めることから見えてくる幸せもあるんじゃないか。という話。… READ MORE

絶望こそが美しい

人はすぐに何かを求めてしまう。金が欲しい、時間が欲しい、見返りが欲しい、自分だけを見ていて欲しい、良い人だと思われたい、助けて欲しい、恩返しして欲しい、幸せになりたい。求めるから、それが満たされない時に、人に絶望してしまう。僕はもう、人に何かを求めることはやめたよ。

人間なんて所詮、感情や打算で自分勝手に動く汚い存在だ。だからと言って人を信じることを諦めるのでは無く、その前提に立ち、見返りなんて求めずに一方的に人を信じる。そもそも人を信じるとか救うなんて、一方的で独善的でワガママな行為なんだ。見返りを求めなければ、絶望することも無い。

心のどこかで「信じているから報われるはずだ、助けてあげたんだから恩返ししてくれるはずだ」と見返りを期待してしまうから、それが帰ってこない時に勝手にがっかりしてしまう。人を信じたり助けたいと思う行為は「金を貸したらあげたと思え」という言葉とも似ている。つまり一方的に与えればいいんだ。… READ MORE

一周忌

昨日は(昨年11月当時の記事です)自ら命を絶ってしまった友人の一周忌なのでした。「こうしとけば良かった」なんて当時は悔やんだが、どれだけ悔やんだところで彼は戻らない。ただ僕に出来るのは、彼が自分で決めた彼自身の生の終わりを尊重することだけ。そう思うしかないよね。人には死ぬ権利がある。悲しいけど。そう思う。

かつてイケダハヤト君の「なぜ人を殺してはいけないか」という記事が話題になったけど、僕の答えは「人には自分の生の最後を自分で決める権利がある」からだと思うんだよ。殺人はそれを侵害する行為だから駄目なんだ。でも行き場を無くした子が自殺するのは他殺だとも思う。だから駆け込み寺を僕はやっている。… READ MORE