やさしさ、 ってなんだっけ

僕はよく「やさしい」という言葉をよく使います。CAMPFIREの行動指針にも「他者にやさしくあろう」とはっきりと入っています。他の活動や発言にも、結構昔から使っているはずです。

周囲の子やスタッフにもよく聞かれます。家入さんの言う「やさしさ」ってなんですか、と。それは甘やかしと違うんですか。そう。「やさしさ」と「甘やかし」。似てるようで違う。違うようで似てる。

でも僕の中では、明確に、定義が違います。

甘やかし」とは、自分が嫌われることを恐れるあまりに、相手に伝えるべきことを伝えられず、結局、相手の行動や全てを受け入れてしまう態度。弱さ。

やさしさ」とは、時には嫌われようとも、時には厳しくとも、相手のことを思って、見返りを求めずに行動や発言をできる態度。強さ。

人と人は分かり合えない

僕が他者と接する時、基本的なスタンスは「人と人は分かり合えない」という前提に立ちます。たとえ親子でもね。「分かり合える」と言う幻想にしがみつくから、友人や恋人と「分かり合えない」と感じた瞬間に、絶望してしまう。身に覚えありますよね。僕もたくさんあります。小学生の頃、先生に散々言われてきましたよね。「人の痛みが分かる人間になろう」と。僕らはそう教えられて、育ってきた。

でもね。分かり合えないんです。分かり合える訳なんてない。たとえば目の前に大怪我を負って血を流している人がいる。その人の実際のリアルな痛みがあなたには分かりますか?分かる訳なんてないんです。だって自分は怪我してないんだもの。痛くないもの。

それでも。目の前に血を流している人がいたら、僕らはきっと動くはずです。助けちゃうはずです。面倒くさいことに巻き込まれるかもしれない。服に血が付いちゃうかもしれない。それでも、僕らは、動く。それって、なんでだろう。

それは、怪我の痛さを知っているからです。怪我をして、血を流すことの痛さを、そして辛さを、これまでの経験で知っているから。だから、僕らは動く。一方的に。頼まれてもないのに。見返りだってないのに。

他者との関係に見返りを求めない

人との付き合いやコミュニケーションも同じではないでしょうか。分かり合える訳なんてないのに、見返りだってないのに、それでも、相手のために何かをしてあげたい。伝えたい。それはある意味、独善的で、一方的な行為です。わがままとも言える。お節介でもある。

「分かり合える」と幻想を持つことは、ある意味、他者との関係の中で見返りを求めているようにも見えます。「私はあなたを愛してる」という言葉の裏に(だから、あなたも私を愛してね)といった気持ちが見え隠れするように。本来、相手の気持ちがどうであるか、分からない。分かるはずもない。(あなたがどうかは分からないけど)「私はあなたが好き」と言うことを一方的に伝えることしかできない。はず。

でも、不安の裏返しからなのか、愛情にしろ友情にしろ、人は他者との関係において、すぐに見返りを求めてしまう。私はあなたのことを愛してる。あなたも、私のことをどう思っているか、言葉にして私に伝えて欲しい。そうして出てきた言葉に、初めて思う。「私たち、分かりあえたね」と。

嫌われる勇気

話は戻ります。改めて、僕の思う「やさしさ」とは、自分が過去に経験した理不尽な出来事や、劣等感や、辛さから、今同じような状況にある他者に対して「自分に何かしてあげられることは無いだろうか」と、一方的に、見返りを求めず、行動をすることです。それが例え、相手にとって望む行動や言葉じゃ無いとしても。それで、自分が嫌われたとしても。

やさしさとは時に、厳しさをともないます。それで嫌われてしまうことだってあります。嫌われて孤立するのは、僕だって怖い。自分がいま相手のためにとっている行動は果たして「やさしさ」なのか?それとも、嫌われたくないが故の「甘やかし」なのか?僕も日々、自問自答しながら、「人と人は分かり合えない」という前提に立って、他者とコミュニケーションしています。

汚い言葉は使わない

そうそう。僕はその「やさしい」態度でいるために、大事にしていることがあります。それは、相手をバカにするような「汚い言葉」は決して使わない、と言うこと。それはやさしさでも、厳しさでも、何でもない、ただの罵倒です。例え相手のことを思っていても、そんな態度では伝わるものも伝わらない。汚い言葉を使う必要なんてないし、僕はそんな言葉を使う人のそばからは、そっと離れます。北風と太陽の寓話のように、強い言葉にはむしろ人は身構えてしまう。去ってしまう。それは、とても、悲しいこと。

僕はこのnoteを、#やさしいかくめいラボ のみんなを思いながら書きました。いろんな意見があっていい。批判や議論も、大いに結構。だって、そう言う場なのだから。それでも。ラボの名前にもなっているように、やさしい態度や言葉を忘れて欲しくないな、と思う。もちろん強制はしないし、罰則なんてものも無い。でも、ラボのメンバーである以上は、気をつけてもらえたらな、って強く願います。僕らは、そういった罵詈雑言の飛び交う場から逃げるように、この居場所を作ったんじゃなかったっけ。

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最後に、家入からの問い

僕の思う「やさしさ」とは、そういったものです。あなたの思う「やさしさ」とは何ですか?ぜひコメントやSNSで教えてください。

Filed under: エッセイ, つぶやき

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個人の可能性を解放するプラットフォームと居場所づくり。CAMPFIRE代表、BASE共同創業、ペパボ創業、NOW代表、リバ邸創設、ブクログや渋谷オンザコーナー、しぶや花魁をつくったり。現代アート蒐集も。長野の森に住んでいます。