人付き合いとは面倒なもの

とある面倒事に巻き込まれイラっとしてしまったが、そもそも人付き合いとは一切の面倒を引き受けることなのだ、と思い出せた点で言えば感謝なのだ。巻き込まれたくなければ誰にも会わなきゃ良い訳だし、僕もまた別の誰かをイライラさせまくってる分(ごめん)、他人を許さなきゃね。まだまだ修行が足らぬ。

人付き合いとは本当に面倒なものだ。だけどそれはお互い様なのだし、結局のところ許しあうしかない。即ち、諦めの境地。人と人は決してわかりあえない。わかりあえないのを前提に、どう振る舞うか。負の感情に負の感情で返すのでは無く、受け入れて許せば、争いも起きない。それはある種の諦めなのだ。

「諦める」と言うとネガティブに捉える人も多いかもしれないが、諦める事で生きるのが楽になることもたくさんある。金、名誉、劣等感、繋がり、怒り、悲しみ、妬み、人生、過去。囚われ一歩も進めなくなるくらいなら、いっそのこと諦めてしまえば楽になる。元々「明らかにする」と同義だったりもする。

他人に期待をせず、依存もせず、諦めの境地で人付き合いをすれば、腹が立つことも悲しくなることも妬むことも無い。例え面倒を被っても、笑って許しちゃえばそれでいいのだ。お互い様だしね。迷惑をかけぬ様に生きるのではなく、生きてるだけで迷惑をかけてるのだから他人の迷惑を許せばOKの精神で。