諦め幸福論

幸せとは満たされることなのだとするならば、ほどよく適当なところで諦めるということもまた必要なのだろう。まあここらでいっか、ってね。もっともっと、と求めるうちは、決して満たされることは無いのだから。

もっと自分だけを見て、もっと自分の話を聞いて、と他者に求める気持ちもまた、いつまでも満たされず不満だけが増長していく。それはやがて依存や束縛を生み、お互いを傷つけるだけの結果で終わるだろう。相手に対し、適当なところで諦め、許し、受け入れる。それが満足するコツだとも言える。

もちろん人間だから、ここには無いものを手に入れたい、見たことない風景を見たい、自分だけを見ていて欲しい、そういった欲する気持ちは無くなることは無いだろう。夢や目標にチャレンジし続ける幸せもあるだろう。だけど、適当なところで諦めることから見えてくる幸せもあるんじゃないか。という話。

何を言いたいかと言うと、愛すべき残念なフォロワーの皆さん、幸せなクリスマスはもう諦めましょうということです。リア充爆発しろ。

まあ冗談はおいといて、みんなで同じ山の頂上を目指して、時には人を蹴落としたり足を引っ張ったりしながらも登ってた時代もかつてあったけど、「おいらはここら辺でもういいや」と、ドカッと座り込んでオニギリを頬張る幸せもあると思うのですよ。