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努力根性論の連鎖

高校生の応援団のドキュメンタリーを見てたのだけど、こうやって努力・根性・精神論は連鎖していくのだなと思った、引きこもりで不登校の僕には全く理解ができない、でも最後はちょっと感動してしまった、やはり人間は結局のところそういったものが好きなのだ、だからこそ逃げ場を失う人が出てくる訳なのだけど。

いびって追い詰めて逃げ場を無くして、でもそこから這い上がり成長する話が、人間は好きなのだ。「お前のことを思って厳しく言ったが」なんて話が人間は好きなのだ。でも僕はどうしても、決して美談としては表には出てこない、「極端に厳しく追い詰めた結果、潰れてしまった人間」のことを考えてしまう。もちろん、潰れるならそれまでなのかもしれない。でも、果たして、潰す必要は本当にあったのか。… READ MORE

本を読むという行為

本を読むという行為は、絶対的な知識量を増やすというよりは、自分の知識を相対化するということだと思う。

「いかになにを知るか」では無く、「いかに自分がなにも知らないか、ということを知る」というかね。本を読めば読むほど、いかに自分が何も知らないかを知り、自信を喪失し、むしろ謙虚になっていくもんだ。世界は広い、知らないことだらけだ。

だから「俺は読書家だ、本を読まない奴はダメだ」みたいな発言をする人は、本質的には読書をしてないと思っているよ。… READ MORE

避けられない未来

今後も加速度的に進化をしていくテクノロジーを避けることはできない、そんな避けられない未来に対して、僕たちはどう言った態度であるべきか、ってことが大事だと思うんですよね。

インターネットの本質とはあらゆることの民主化であり、誰もが声をあげられ、繋がり会え、支え合える社会を作るために、インターネットは存在していると僕は信じていて。その先に待つのは優しい世界であって欲しいなーなんて思うんです。

ペパボとか、BASEとか、CAMPFIREとか、リバ邸とか、様々なサービスをやってきましたが、手段や歩む道はそれぞれ違えど、目指すゴールはそんな優しい世界なんじゃないかなあ、と。… READ MORE

大抵の挑戦は失敗する

なにか新しいことにチャレンジすると大抵の場合は失敗する。組織において失敗すると上司に怒られ、マイナス評価となる。上はまたその上に怒られるため、部下に「余計なことはするな」と命令し始める。最終的にはそうやって全ての人にとって「なにもしないこと」が正解となり、組織は腐っていく。

新しいことにチャレンジして失敗するやつが出たとする。「誰だあんな人間を採用したのは!」と人事や面接官が怒られる。そうなると人事や面接官にとっては、「無難な人間」の採用が正解となる。そうやって無難な人間が増えていき、イノベーションの起きない組織になっていく。

組織や上司に出来ることは「思い切り三振してこい!」とスタッフを打席に送り出し続けることなんだろう。三振して怒られ、連帯責任で怒られ、そんな組織じゃ誰も打席に立ちたがらないし、誰かが打席に立つことすら止めるだろう。大事なのは打率じゃない、どれだけ打席に立つかだってナンパ師が言ってた。… READ MORE

平等と公正の違い

平等と公正の違いで使われるこの図。プラットフォームとしてのあり方も左から右の図へと移行してきている。ツイッター社がヘイトスピーチへの対策を発表するなど、プラットフォームにおける”公正”とは、時代と共に変わっていくものだと思う。

プラットフォームを運営する僕らとしてもまた、公正とは何かを常に問い続けなければならない。公正とは全てのユーザーに等しく同じルールを強いることではなく、個々のケースで柔軟に対応し必要であれば手を差し伸べることなんだろう。それがたとえ不公平だと言われるのだとしても。

それはある種、国の枠を越えて広がっていくプラットフォームにおいて、国家的な役割が求められ始めてるということでもあるんだと思う。… READ MORE

ゲリラ戦

「才能ある若い奴らが名を売ることにも金儲けにも興味を一切持たず淡々とゲリラ戦を仕掛けてくる。対価を得て生業としている所謂”プロ”層からするとそんな若者こそが脅威であると共に興味深くもある」あるファッションデザイナーの友人が言ってた言葉だけどこれはいろんな分野にも当てはまるのではないか。

「金にも名声にも全く興味がない」といった価値観が理解できない世代からすれば不気味でしようがないだろう。

プロがプロたり得る部分はもちろん残りつつも、対価を得ているからプロ・趣味だからアマ、なんて単純な境目は溶けてなくなっていくのだろう、従来の構図がプロを頂点とする山だったとするならば、今はアマチュアだらけの海の底に圧倒的な才能を持った人間が蠢いているといった感じなのかもしれない。… READ MORE

誰かのためにできること

誰かのやりたいことのために自分に何ができるのかを普段から考えることが大事で、突然自分のやりたいことばかり主張しても誰も手伝ってくれないのは当然だよなー

リバ邸という場所をつくってそこから様々な子が飛び出して活躍し始めてるけど、その何十倍も何百倍ものまだ日の目を見ない子たちのために自分に何ができるのかを考え続けることが大事だと思ってる

新しいものはカオスな玉石混交の中から生まれるものだと思っているよ… READ MORE

個人的な物語

豊かになる物語が終わって、成熟したその先の、希望のない物語をいま歩んでいるのだと感じる。否応無く経済が小さくなっていく課題だらけの日本に今いるということ。起業にしろ何にしろ、その課題に対して一人ひとりがどう振る舞うのかを突きつけられているのだと思う。

仕事上若い子のいろんなビジネスプランを聞く機会があるけど、個人的な物語がビジネスを通じて社会の課題解決に繋がってるものを、僕は美しいと思う。

アイデアがたくさんあろうがいくら革新的であろうが、その人にやる意義のないことは全て他の誰かがやれば良い。自分がやらなくて良いこと、やるべきで無いことを消去法で削っていって最後に残ったものが、その人だからこそやる意義のあることだろう。意義の先に物語があり、その物語が人を惹きつける。… READ MORE

表現としてのビジネス

「この時代に、自分はこう思い、こう表現しました」という形が、ある人は歌であり、ある人は絵画であり、ある人は映像であり、その延長線上にビジネスはあるのだと信じています。社会が大きな池だとするならば、そこにどんな石を投げ入れるのか。その投げ入れて起きた波紋こそが表現なのではないかと。

この時代に、何を感じ、何を信じ、何のために自分は動くのか。その本質からぶれさえしなければ、何を表現とするかは自由なのだと信じたい。… READ MORE

弱みという強み

自分の弱点や短所を正しく認識出来ていることはむしろ強みであると思うので、面接では必ずそういったネガな点を根掘り葉掘り聞くことにしています。ここで誤魔化さず吐露できる人は意外に少ない。強みや優位性は正直あまりみんな大差ないのでさらっと流します。

わかりやすい強みや優位性と違って、弱みや短所といった人としてガタガタな部分こそが、むしろチームにガチッとハマると替えのきかない武器になることも多い。これは弱点に限らず劣等感や過去の辛い体験なども同じで、その人固有の物語は誰にも変えられない強みになる。だから面接では根掘り葉掘り聞く。

人生や仕事において小さくても大事にしてること、自分の認識してる自分の弱み・劣等感、どんな時でも他者に対して優しくあれるかどうか、これだけは面接で必ず聞いてる気がする。優しい人とだけ働きたい。優しくして欲しい…。… READ MORE

ミスiDの審査員として

ミスiD 2016の審査員をさせていただきました。

ミスiDに応募してくる子たちは「私なんて本当にダメダメだし生きていてすいません…」みたいな子から「私が可愛いことは私自身がよくわかっています!みなさんも私のこと好きですよね!」みたいな子までいて、本当に振り幅が大きい。スターはカオスの中から生まれるということを実感する。

審査員を引き受けるまでは「夢や希望を見せるという行為は残酷であり罪深い」と思っていたが、審査会場に来て震えて泣きはじめる子たちを見ていると「ああ、夢にすがらなきゃ生きていけない子たちもいるのだ」ということを思い知った。ミスiDはそう行った子たちのよすがとなっている。… READ MORE

ガタついた歯車

社会不適合者しか入れない組織作る。

学校にしろ会社にしろこぼれ落ちちゃう子は今のシステムとの相性が悪いだけで裏を返せばどんな人間とも代替不可能なヒーローになる可能性を秘めていると思います。今のシステムでは会社にしろなんにしろ面倒臭い人間を入れた担当者が叱責を食らうので無難な良い子だけが組み込まれてく仕組みになってる。

歯車という例えは適切では無いかも知れないけど、今のシステムに適合する歯車は誰とでも代替可能で、いつでも交換されてしまう。システムに合わないガタついた歯車だからこそ、そのガタつきが生きる場所が見つかれば、それこそそのガタつき故に、どんな誰とも交換しづらいものとなる。と思う。… READ MORE

恩というパス

自分がまだ若く未熟だったころ面倒を見てくれた大人の様な存在に、いま自分はなれているのだろうか。そんな大人に育てられておきながら、いざ成長すると若手を育てるということを放棄してしまってないか。目の前にいる生意気で無知で自信家な若者は、実は心細かったあの頃の自分なのではないか。

連綿と続く「恩」というボールのパスを、自分のところで止めてしまった瞬間に、すべては断絶し、終わってしまうのだと思う。

人を育てる人を育てたい。 人を育てる人が育つ組織でありたい。… READ MORE

インターネットと親鸞

なんだかんだ僕はインターネットが大好きで、その好きなネットが普及したからこそ出来ることの本質と向き合っていたいんですよね。その本質とは、ありとあらゆることの”民主化”だと思うんです。一部の人や組織に独占されたものを、個人の手に奪いかえす。それこそが民主化であり革命なんじゃないかと。

民主化されてない分野、国内にはまだまだあります。そこをインターネットで切り崩したい。争わず、血も流れない、静かな革命。それを、僕は、優しい革命と呼びたい。

僕にとってのインターネットとは、農民にとっての竹やりであり、親鸞にとっての浄土真宗なんだよな。… READ MORE

一番の天才は誰か

SNSによって天才の意見を容易く知ることは出来るようになったが、その天才の意見を参考にしたところでそれは劣化コピーにしかならない。あなたが作るモノにおいての一番の天才はあなた自身なんですよ、あなたの信じるようにモノを作りなさい、それが全て。天才の意見や、ユーザーの意見を免罪符にするな。

by BASE 鶴岡裕太… READ MORE