All posts tagged “見返り

善だとか偽善だとか

CAMPFIREで募集している北海道震災支援について、「偽善ですが支援します」という断りを入れてつぶやく方が本当に多い。もちろんとてもその行為自体には感謝しているしありがたいが、目の前で困っている人に手を差し伸べるのに、いちいち”善”だとか”偽善”だとか言う必要は無い、と僕は思っています。人と人は分かり合えない、と言う前提に、それでも手を差し伸べたい時は、見返りを求めず一方的にやれば良い。そこには善も偽善も無い。

僕らは「他人の痛みがわかる人間になりなさい」なんて育てられたが、それは幻想で、他人の痛みなんて当事者以外わかるわけないんだよね。それでも、目の前で血を流している人がいたら咄嗟に手を差し伸べるはず。人と人はわかりあえないが、一方的に思いやることは出来る。それは善も偽善も超えている。… READ MORE

若者応援おじさん

若者を応援するやつに気をつけろ、なんて誰かの記事がちょっと前にあがってたけど。それが僕であれ、誰であれ、そりゃみんな気をつけた方がいいと思いますよ。僕は僕の論理で応援するわけで、そこに見返りは求めてないなんて言ったら嘘になる。他人を信じるとは、例え裏切られてもそれすらも引き受ける覚悟を持つということだと、僕は思う。… READ MORE

絶望こそが美しい

人はすぐに何かを求めてしまう。金が欲しい、時間が欲しい、見返りが欲しい、自分だけを見ていて欲しい、良い人だと思われたい、助けて欲しい、恩返しして欲しい、幸せになりたい。求めるから、それが満たされない時に、人に絶望してしまう。僕はもう、人に何かを求めることはやめたよ。

人間なんて所詮、感情や打算で自分勝手に動く汚い存在だ。だからと言って人を信じることを諦めるのでは無く、その前提に立ち、見返りなんて求めずに一方的に人を信じる。そもそも人を信じるとか救うなんて、一方的で独善的でワガママな行為なんだ。見返りを求めなければ、絶望することも無い。

心のどこかで「信じているから報われるはずだ、助けてあげたんだから恩返ししてくれるはずだ」と見返りを期待してしまうから、それが帰ってこない時に勝手にがっかりしてしまう。人を信じたり助けたいと思う行為は「金を貸したらあげたと思え」という言葉とも似ている。つまり一方的に与えればいいんだ。… READ MORE

give&given

ボールを回さない人にはやがて誰もパスを出さなくなる。岡田斗司夫さんの言葉。上手い例えだなあ。お金も機会も人脈も作物も評価も、他人にボールを回せる人のところにはまたたくさんのボールが回ってくる。give&takeでは無くgive&given。恩返しや見返りを求めるのはもうやめよう。… READ MORE