学校から逃げる

先日中学生への講演で「皆さんの中にいじめっ子もいじめられっ子もいると思います。学校や友人関係がこの世界の全てだと思い込みがちだけど、そんなことは全く無いから、病んだり死を選んだりするくらいなら、学校なんてまじ行かなくていいから」的な事を言ったら、校長先生に怒られた笑。

学校以外に行き場なんて無い、と思い込んじゃうから、逃げ場を失って追い詰められてしまう。中学生の自殺なんてあまりにも辛すぎる。学校だけが全てじゃない、行かなくても生きてたら何とかなる、と大人が色んな世界を見せてあげる事が大事。昔は近所にそんなダメ親父(笑)がたくさんいたんだよね。

希望の国のエクソダスじゃ無いけど、学校以外に魅力的な場所が出来たらみんな一気に不登校になってそっちに行っちゃいそうな気がする。そのくらい閉塞感に包まれてる。不登校という選択が負け組の様に捉えられるのは本当におかしい。だったら過激なまでに「学校なんて行かなくていいよ」と僕は言いたい。

中学二年で不登校になり、数年間家に引きこもった僕が何とか生きて来れたのは、「学校に行かない」という僕の選択を、親が尊重し受け入れてくれたから。親にも先生にも「逃げるな、とにかく学校に行け」なんて言われたら、死にたくなってただろう。世間体より子を守ってくれた親には感謝です。

起立、気をつけ、礼、前へ習え、なんて所からもわかる様に、小中学校の教育のベースにあるのが軍隊だからなあ。「行かない」なんて選択肢はそもそも存在しない仕組みになってる。だから逃げ出せない。逃げ出したら死刑、なんていつの時代だよ。中学生の自殺、あれは自殺じゃなく死刑もしくは他殺だよ。

居場所さえあれば、絶望しても何とか生きていけるもんだよ。とにかく学校に行け、としか大人に言われず、学校にも家庭にも居場所を無くした子は、一体どこに行けば良いのだろう。学校に行かない、という選択肢がもっとカジュアルになればいい。そもそも「不登校」なんて否定的な言葉を変えたいよなあ。

子供の「学校から逃げる」という行為は、ある種の自己防衛本能なんだよね。言葉にもうまく出来ない、子供の本能的な行動を、大人は受け入れてあげるべきなんだと思う。そんな本能は大人になるにつれ失われていくから「逃げるな、戦え」と強制させてしまいがちだけど。