等価交換的人間関係

人間関係にまで等価交換的な思考が浸透してしまっている。金を払ってるのだから、こんなに信用しているのだから、こんなに時間を割いてるのだから、こんなに愛してるのだから、こんなに頑張ってるのだから、等価となるものを寄こせ、返せ、と。だから満たされない時に損した気分になってしまう。

全ては等価交換であるべきだ、対価と同等の満足が得られて当然だ、と考える人は多い。等価交換では成り立たないものなんて世の中にはたくさんあるのに、そう思考するから満たされずに不満ばかりが蓄積されていく。そうして欲望が増大していき、また別のもので満たそうとしてしまう。

つまり、みんな消費者的態度でしか人間関係や物事を考えられなくなってしまっている。そのスパイラルに入ると「損した」という不満を常に抱えることになってしまう。金を損した、時間を損した、手伝って損した、心配して損した、愛して損した…なんてね。それって本当に損得で考えることですか、と。

メディアなどに欲望を煽られ、消費を煽られ、それを満たそうと努力してきた結果が、今の等価交換的思考、消費者的思考に繋がっているのだと思う。だから「損をしたくない」「何かをしてもらって当然」という発想を、本当等価交換が当てはまらない人間関係や教育や医療にも求めてしまっている。

周りを見渡せばテレビでもネットでも雑誌でも「もっとモテる方法」「もっと愛される方法」「もっと綺麗になる方法」「もっと稼げる方法」「もっと楽になれる方法」なんて言葉が踊ってる。これは「現状あなたは損をしていますよ」という事を言っている。損をしたくないからみんなそれを手にしてしまう。