死の気配

人の死に触れて思うのが、死の気配みたいなものだ。普段はみんな目を背け、気付かないふりをして生きているが、死の気配は常に人のそばにある。身近な人の死によってしかそれを思い出せないのは悲しいが、その死に意味があるとするなら、そういうことなんだと思う。生きるとは、死を感じること。

街中では恋の歌が流れ、雑誌や本には夢や希望の文字だらけ。別に悪いことじゃ無いが、それは死の気配を意識したくない人間が求めるからなんだな。そういった言葉でラッピングして見えないようにしたところで、死の気配からは逃げられない。夢を持つほど、幸せであるほど、死の気配は大きくなっていく。

死にたい、と願う気持ちは、死の気配の端に触れている。死を考え、死を感じて生きる。夢や希望だけを見て、死の気配に気づかないふりをして生きるより、よほど健全な気もする。生きたくてもあっさり死んじゃう人も、死にたくても死ねない人もいる。死ぬときは死ぬんだよね。僕らは死ぬ為に生きている。

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個人の可能性を解放するプラットフォームと居場所づくり。CAMPFIRE代表、BASE共同創業、ペパボ創業、NOW代表、リバ邸創設、ブクログや渋谷オンザコーナー、しぶや花魁をつくったり。現代アート蒐集も。長野の森に住んでいます。