All posts tagged “希望

変化のしわ寄せ

時代と共にあらゆる産業の構造が変わってくことを絶望とも希望とも取らず、ただただ自分たちだからこそ出来ることをやっていきたいと思う、変化のしわ寄せに押しつぶされそうな人たちに対して、自分たちに何が出来るのか。小さな火を灯し続けたい。… READ MORE

どこかの芝生は青い

もっと綺麗になる必要も、もっと幸せになる必要も、もっとモテる必要も、もっと年収があがる必要も、もっと自分らしくある必要も、全く無いんだからな!周りを見渡せばそんな情報ばかり、それは欲望を作り出してお金に変える仕組み、これを僕は「どこかの芝生は青い」システムと呼んでいる(今つけた)

「あなたはこんなところにいるべきじゃない、もっとあなたらしくいられる場所がどこかにある」なんて嘘っぱちの夢や希望を見せて欲望という名のニーズをマネタイズするのはビジネスにおける常套手段だからな!気をつけろ!… READ MORE

死の気配

人の死に触れて思うのが、死の気配みたいなものだ。普段はみんな目を背け、気付かないふりをして生きているが、死の気配は常に人のそばにある。身近な人の死によってしかそれを思い出せないのは悲しいが、その死に意味があるとするなら、そういうことなんだと思う。生きるとは、死を感じること。

街中では恋の歌が流れ、雑誌や本には夢や希望の文字だらけ。別に悪いことじゃ無いが、それは死の気配を意識したくない人間が求めるからなんだな。そういった言葉でラッピングして見えないようにしたところで、死の気配からは逃げられない。夢を持つほど、幸せであるほど、死の気配は大きくなっていく。

死にたい、と願う気持ちは、死の気配の端に触れている。死を考え、死を感じて生きる。夢や希望だけを見て、死の気配に気づかないふりをして生きるより、よほど健全な気もする。生きたくてもあっさり死んじゃう人も、死にたくても死ねない人もいる。死ぬときは死ぬんだよね。僕らは死ぬ為に生きている。… READ MORE

絶望こそが美しい

人はすぐに何かを求めてしまう。金が欲しい、時間が欲しい、見返りが欲しい、自分だけを見ていて欲しい、良い人だと思われたい、助けて欲しい、恩返しして欲しい、幸せになりたい。求めるから、それが満たされない時に、人に絶望してしまう。僕はもう、人に何かを求めることはやめたよ。

人間なんて所詮、感情や打算で自分勝手に動く汚い存在だ。だからと言って人を信じることを諦めるのでは無く、その前提に立ち、見返りなんて求めずに一方的に人を信じる。そもそも人を信じるとか救うなんて、一方的で独善的でワガママな行為なんだ。見返りを求めなければ、絶望することも無い。

心のどこかで「信じているから報われるはずだ、助けてあげたんだから恩返ししてくれるはずだ」と見返りを期待してしまうから、それが帰ってこない時に勝手にがっかりしてしまう。人を信じたり助けたいと思う行為は「金を貸したらあげたと思え」という言葉とも似ている。つまり一方的に与えればいいんだ。… READ MORE

しにたい=しあわせになりたい

「しにたい」とは「しあわせになりたい」の略だ、なんて上手いのか上手くないのかわからない話を聞いた。でも確かに、幸せを求めることは苦しみを抱える事であり、苦しみを抱えると人は死にたくなるもんだ。死ぬとき、全ての執着から解放され幸せになれる。そういう意味ではまあうまいこと言うなあと。

この世は絶望に満ちている。希望を持つから絶望する。絶望からはじまる繋がりで、破壊力で、僕らは生を通して表現し続ける。大先輩だけど宮崎駿さんの引退の言葉「この世は生きるに値する」は絶望の先から生まれた言葉だと思う。僕にはまだ生きる意味もわからないが、死ぬ意味もわからないから、とりあえず生きながらえている。… READ MORE