All posts tagged “信じる

性善説

自分にとって都合の良い他者しかこの世には存在しない、ということを勝手に期待し信じることを性善説とは呼ばない。人間は本来善でも悪でもあり(また、無く)、あえて言えば性善説とは、悪をも受け入れ全てを背負う覚悟みたいなことを言うんじゃないか。大抵の性善説信奉者はただただ自分勝手なだけなのよ。… READ MORE

一番の天才は誰か

SNSによって天才の意見を容易く知ることは出来るようになったが、その天才の意見を参考にしたところでそれは劣化コピーにしかならない。あなたが作るモノにおいての一番の天才はあなた自身なんですよ、あなたの信じるようにモノを作りなさい、それが全て。天才の意見や、ユーザーの意見を免罪符にするな。

by BASE 鶴岡裕太… READ MORE

絶望こそが美しい

人はすぐに何かを求めてしまう。金が欲しい、時間が欲しい、見返りが欲しい、自分だけを見ていて欲しい、良い人だと思われたい、助けて欲しい、恩返しして欲しい、幸せになりたい。求めるから、それが満たされない時に、人に絶望してしまう。僕はもう、人に何かを求めることはやめたよ。

人間なんて所詮、感情や打算で自分勝手に動く汚い存在だ。だからと言って人を信じることを諦めるのでは無く、その前提に立ち、見返りなんて求めずに一方的に人を信じる。そもそも人を信じるとか救うなんて、一方的で独善的でワガママな行為なんだ。見返りを求めなければ、絶望することも無い。

心のどこかで「信じているから報われるはずだ、助けてあげたんだから恩返ししてくれるはずだ」と見返りを期待してしまうから、それが帰ってこない時に勝手にがっかりしてしまう。人を信じたり助けたいと思う行為は「金を貸したらあげたと思え」という言葉とも似ている。つまり一方的に与えればいいんだ。… READ MORE