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ツイッターだった

他人と積極的にはコミュニケーションをとりたくないんだけど、外で思わず「寒いなあ…」と独り言ちたら知らない誰かが「…寒いっすね…」と言ってくれるくらいのコミュニケーションはとりたい人用のツールを開発したいなと思ったけどそれツイッターだったし、深夜にふと世界に自分たった一人だけ取り残された様な気がして、思わずコンビニに駆け込んでいつもの店員に安心する様な、積極的に他人とは繋がりたくないけど一人きりじゃないことをなんとなく確認できるコミュニケーションツールを開発しようと思ったけど、それもやっぱりツイッターだった。… READ MORE

嫌いであることを認める

他人から嫌われるのが怖い、なんて人は、自分が他人を嫌いであることを認められない人だと思う。人を好きになるのに理由が無い様に、嫌いなるのにも理由なんて無くていい。自分が他人を嫌うことを恐れなくなれば、他人から嫌われることも怖くなくなるんじゃないか。

他者を嫌う自分を許せなく感じ認めたくないから、嫌いという感情を封じ込め、他者に好かれようと仮面を被って無理をしてしまう。人が好きだから嫌われることが怖いんじゃない、嫌いな人がいることを自分で認めたくないだけなんだな。自分が他者を嫌う様に、他者に自分も嫌われる。それだけのこと。… READ MORE

甘えを許す

最近ベビーカー議論があったけど、公共の場でベビーカーは迷惑だ、ベビーカーは親が楽したいだけの甘えだ、なんて考え方が、結局自分自身の属する社会をギスギスした息の詰まるものにしてしまってると思うよ、僕は。僕たちだって赤ん坊の時に他人に迷惑をかけたのだから、今その迷惑を受け入れたらいいんじゃないかなあ。

自分が甘えられなかったから、あいつも甘えるべきでは無い、あいつだけズルい、と考えるのでは無く、自分は辛い思いをしたからこそお前の気持ちがわかるよ、と考え方を転換出来れば良いのだけどね。まあそれが中々難しいのもわかるのだけど。僕らは多かれ少なかれ、他者に甘えを許されながら、生きている。… READ MORE

僕は血の繋がりにそれ程の意味を感じられずにいる。極論言うといくら血が繋がろうとそこにいるのは僕にとっても相手にとっても他人である。どこまで行っても他人である以上「わたしはあなたを一方的に愛する、それをあなたがどう思うかは知らないが」この態度しか無い。それ以上でも以下でも無い。

親だから、爺ちゃんだから、面倒を見なきゃいけない。最後まで看取らなきゃいけない。延命させなきゃいけない。その思い込みが自身を不自由にする。年寄りは若い人より先に死ぬ、その単純な前提に立つだけでいい。その上で自分がどう振る舞うか。そこで自分に責任を感じる必要なんて無い。

人間は血の繋がりに意味を見出そうとする。だけど所詮他人、わかりあえる訳なんて無い。血が繋がってるからわかりあえる、そんなの幻想だよ。わかりあえると期待するから、わかりあえない時に絶望する。わかりあえないのを前提に、どう一方的に愛するか。それしか無い。… READ MORE

迷惑

周囲に迷惑をかけるな、と僕らは教わってきた。でも違うんだよ。他人の迷惑を許容出来る様になればいいんだよ。そもそも生きてるだけで人様に迷惑かけてるんだからね。… READ MORE