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イケハヤランドに行ってきた

イケハヤランド。なんだかんだ批判されて、すぐ帰ってくるだろと言われても、着々とコミュニティを高知の山奥で形成し始めている彼は、本当にすごいと思いますよ。年収150万で生きて行くとかいいながら今はめちゃ稼いでるし笑。限界集落で生きながら外貨を稼ぐという新しいモデルを作ってる。

彼に限らず、ネットやソーシャルでは見えない、地味で辛い、仕事や作業の日々の積み重ねが、今に繋がってるのだなと感じます。アブやブヨ、スズメバチ、マムシなどと付き合いながら、草に負けながら草刈りをし、冬はマイナス10度で雪が積もる山の中で生きるということ。

イケダハヤトは生まれながらにしていきなりイケダハヤトなのではない。堀江さんも孫さんもそうでしょう。決して表には出てこない、地味な積み重ねで今がある。誰しも最初はフォロワー0からヨーイドンで始まるのですよね。ワープ出来る人間なんてこの世にはいない。… READ MORE

疲れないインターネット

誰とでも繋がれる、誰でも何でも言える、表現できる。そんな夢みたいな世界がやってきたけど、なんだかうーん、どうも違う感。この違和感はなんだろう。

タイムラインを覗けば、毎日の様に何かしら何処かしらで炎上が起きている。石を投げる人たち、投げ返す人たち。そこにゴールは無い、論破するかされるか、最終的にアカウントを消すか鍵をかけてハイ終わり。なんなんだろう、この気持ちの悪さ。そこに幸せはあるのか。

違いを違いとして認め合う、違いを違いとして距離をコントロールする、多様性とはこういうことなんだと思う。人と人は決してわかりあえない。わかりあえないことを前提に、自らがどう立ち振る舞うか、なのだ。ゾーニングがうまくいってないのか、どうも今のネットコミュニティはそこがグチャグチャな感じがするのだな。… READ MORE

曖昧になる世界

不安定な世の中、ソーシャルの浸透、グローバル化などであらゆる境界線が曖昧になる中で、自分を中心とした小さなコミュニティを作ろうとする動きが増える気がする。シェアハウスや私塾といったものもきっとそうだろう。会社や学校、国といったものが自分を守ってくれないことを知ってしまった。

頼りになると信じてたものが、あっけなく不景気や地震で壊れてしまうことを知ってしまった。いじめから学校が守ってくれないことを知ってしまった。鬱や過労死からも企業は守ってくれないよ。逃げ遅れる前にダッシュで逃げる。命を失うくらいなら立ち向かわなくていい。逃げた先に居場所を作ればいい。

最近感じるのはLivertyは自分の居場所を作るためのプラットフォーム型組織になりつつあるということ。自分の居場所を作るための場所。ある子は勝手に仲間を集めてウェブサービスを始めるし、ある子はシェアハウスを始める。自分なりの場所を模索しながらLiverty内で作りはじめている。… READ MORE