All posts tagged “逃げる

逃げるという選択肢

なぜだか今になって、2013年に書いた記事が最近バズっていた。
就活自殺

何度も言うけど、追い詰められたら人は簡単に死ぬよ。その死は自殺では無く、もはや他殺。立ち向かうなんてもっての他、追い詰める側が引かない限りは、とにかく逃げて自分で余白を作るしかない。そして、逃げた先でまたその後のことは考えたらいい。就活以外でも同じです。

逃げるという行為はネガティブにとられがちだけど本来自己防衛本能として正しい行動なんだよね。ウサギはあの耳で敵を察知して逃げるでしょ。逃げるな戦え、と言われ続けた僕らはきっと防衛本能が衰えてしまってるんだろう。僕は死なないために逃げ続けて今ここにいます。逃げるのは悪いことじゃない。

逃げて逃げて、居場所を見つけて態勢を整えて初めて、「さあ、さて次どうしようか」と、冷静に考えることが出来ると思うのですよね。人は本当に簡単に死んでしまう。逃げることを正当化するつもりはないが、生きる上で、逃げるという”選択肢”もあってもいいのでは無いか。

お前は逃げたその後にそれなりに上手くやってきたからそんなこと言えるんだ、と言われたら、はいその通りです、としか言えない。自分の成功体験から発言する以上、アドバイスなども含めて、すべての発言はポジショントークになってしまう。それでも、大人の提示すべきは、生きる上での選択肢だと僕は言い続けたい。

僕は「逃げろ」と言うだろう、ある大人は「戦え」と言うだろう、表面的には前者が優しそうだが、首根っこ捕まえて逃がさない方が本人のためになることもあるだろう、それでも僕は、”優しさ”とは自分が辛かった時にかけられたかった言葉を、いま同じ状況にある他者にかけてあげることだと信じています。

ましてや学生の時など、自分の見えている世界が狭すぎて、逃げるという選択肢すら自分の中に持てずに、心が折れるまで戦ってしまうことは多々あると思うのですよね。「学校か家か」「会社か家か」の二択しか無い世界では、今いる場所からこぼれ落ちまいと、必死でしがみついて、心が疲れきってしまう。

うさぎとライオン

うさぎはあの長い耳で危険を察知して逃げる、逃げた先で態勢を整える。人間も同じ。うさぎに対して、ライオンに立ち向かうことを強制するなんて常軌を逸してる。逃げるということは立派な自己防衛本能だ。いじめやパワハラや災害など、生きる中で出会う、理不尽で圧倒的な暴力からはまず逃げるべきだ。

とある中学校に呼ばれて講演した時に「僕はいじめを受けて学校に行かなくなったが、あの頃は学校が世界の全てだった。大人になってわかったのは、世界は本当に広いということ。学校が全てじゃないです。本当に辛い時は逃げてください。」と話したのだけど、終わった後に校長先生に怒られた(もちろん校長先生の立場から見ると当然のことだとは思う)

後日、生徒たちから手紙をたくさんいただいた。「逃げるのは良くないと思います!」というものももちろんあったが、「自分はいじめられているが、親も先生も立ち向かえとしか言ってくれなかった。”逃げる”という選択肢があることを初めて知りました。」という内容の手紙が何通も。

もちろん、生きてる中で立ち向かうべき局面もあるだろう。逃げ出さずに戦ったおかげで今がある、と考える人もいるだろう。だが、大人が子供に渡すべきものは”選択肢”であるべきだと僕は思います。退路を断たれ、逃げ場を失った子が、心を病んだり自ら命を絶ってしまうなんてのは本当に悲しいことだ。

結局のところ僕は僕の人生の中からしかアドバイス出来ない。逃げるべきところで逃げたことで、僕は生き抜くことが出来たと思っている(立ち向かうべきところでも逃げたことも多いが)。決して一歩も引かず、一人きりでも戦い抜くことで、生きてきた人もいるだろう。その人はまた違う助言をするはずだ。

それをポジショントークと呼ぶのだとすれば、人は結局のところポジションの中でしか発言できないのだろう、とも思う。

ミスiDの審査員として

ミスiD 2016の審査員をさせていただきました。

ミスiDに応募してくる子たちは「私なんて本当にダメダメだし生きていてすいません…」みたいな子から「私が可愛いことは私自身がよくわかっています!みなさんも私のこと好きですよね!」みたいな子までいて、本当に振り幅が大きい。スターはカオスの中から生まれるということを実感する。

審査員を引き受けるまでは「夢や希望を見せるという行為は残酷であり罪深い」と思っていたが、審査会場に来て震えて泣きはじめる子たちを見ていると「ああ、夢にすがらなきゃ生きていけない子たちもいるのだ」ということを思い知った。ミスiDはそう行った子たちのよすがとなっている。

批判などが多いことも知っているが、こんなカオスなミスコンがかつてあっただろうか。とも思う。様々な意見はあれど、応募してくる子たちは死ぬ気でステージに立っている。もちろん主催の小林さんも、審査員たちも一人一人に真摯に向き合っている。この空間だけが真実だ。

今回どんな結果になろうと、決して否定されたとは思わないでほしい。誰も否定などしていない。世界は広い、どこかに居場所はある。立ち向かわずとも、逃げて逃げて逃げまくればいい。

軸をずらす

他者と自分を比較するから劣等感を持ってしまう。自分は人より劣っている、どうせ勝てっこ無い、負けて傷つくのが怖い、どうせ俺なんて…。それはやがて妬みなどに転換され、自他共に傷つけてしまうことになる。比較せずに生きるためにどうしたら良いか。それは「戦う軸をずらす」ということだと思う。

「戦う軸をずらす」とはどういうことか。例えば学校や会社で、試験の点数や売り上げだけを競っていても、上には上がいるしやがて疲れてしまう。だったらそこに評価のモノサシを置かず、いっそのこと軸をずらしちゃえばいい。ずらし先は何でもいいが、わざわざ比較する様なことじゃ無いものの方がいい。

話はそれるがアートディレクターの箭内道彦さんは「クリエイティブ合気道」なんてことを言っていて。例えばポスターの制作案件で予算も納期も無いことを逆手にとって真っ白なポスターを納品したりする。画期的で前代未聞。笑。与えられた難題をクリエイティブに返す。これもある意味軸をずらしている。

普通だと「予算が無い中でこれだけ頑張りました!」となるが、逆に「予算が無いから真っ白です、でもこれカッコ良く無いすか?」とクリエイティブに返す。もちろん実績のある箭内さんだから説得力を持つということもあるだろうが、戦う軸をずらすことを知っている人には、思考の余白がどこかある。

漫画バガボンドから引用すると、殺し合いの螺旋から降りることは、決して逃げじゃ無い。どれだけ他者と戦ってたとえ勝ったとしても、上へ上へと登り続ける終わりの無い螺旋ではいつか心が疲れてしまう。だったら軸をずらしてしまおう。殺した人の数も、偏差値も、売り上げも年収も関係無い世界に。

もちろんイチローや職人の様にひとつの道を極めるカッコ良さに憧れもあるが、僕みたいな適当人間にはどだい無理なのと、個人的に「寿司職人だけどダンサー」「ソムリエだけどエンジニア」みたいな複合軸や「偏差値低いけどケン玉得意」みたいに軸をずらした人に興味を持ってしまうのです。

防衛本能

家入は「逃げろ」と言うが、俺たちに逃げ場なんて何処にも無い、という声を聞くことも多い。僕らは僕らで居場所を作っているけど、居場所や逃げ場の少なさは今の社会の問題の一つだと思う。リアルでもネットでも緩く繋がりを作っていけばそこが居場所になってくこともある。自立とは一人で生きてくことじゃなく、頼れる人をたくさん作ること。

弱い小動物は群れて寄り添いあいながら生き、強い動物を前にした時は全力で逃げるでしょ。動物は知っている。群れること、逃げることは恥ずかしい事じゃない、立派な防衛本能なんだよね。立ち向かうことが美徳だと、誰が決めたんだろうね。

俺はこっち行くよ

会社でも社会でも国でも上司でも親でも学校でもそうだけど、なかなか変わらない(変えられない)ものを変えようと努力するのは大変だ。だったら自分が変わった方が早い笑。凝り固まってしまった思考や仕組みはなかなか変えられない。文句を言わずに受け入れるか、俺はこっち行くよ、と立ち去る方が早い。

惰性のままに依存したり戦い続けて病むくらいなら、さっさと逃げる。逃げる、てのはネガティブに捉えられがちだけど、自分を変えようとする勇気のある行為だと僕は思ってるよ。逃げる事も出来ず、ぬるま湯の中で茹で上がるカエルになるより余程いい。我慢大会じゃ無いんだからさ笑。

なんかさー、なかなかあいつら変えられないし変わろうともしないし、もう俺はあっち行くわ。みんなどうする?一緒に行く?が僕のスタンス笑。魚が釣れない事を嘆き続けたり環境のせいにして同じ場所に居続けるよりは、さっさと河岸を変えた方が早いよね。それを他人は逃げたと言うかもしれない。

人間は体裁やプライドや安定を大事にしてなかなか変われないし、組織も回ってる仕組みをわざわざ変えようとも思わない。そんなのを変えようと努力するのも疲れるし、だったら糞みたいなプライドなんかさっさと捨てて自ら変わる事が出来る人間の方が強い。逃げだの何だの好き勝手言わせておけばいいさ笑

変えられないもの変わらないものを変えようと戦う勇気は素晴らしいが、逃げてでも、プライドを捨ててでも自ら変わることが出来る勇気の方を僕は讃えたい。現状を諦めながらも愚痴り続けて同じ場所に留まることはもう辞めよう。「変えられないものを変えるより、自分を変えよう」終わり!さてパズドラしよ…

学校から逃げる

先日中学生への講演で「皆さんの中にいじめっ子もいじめられっ子もいると思います。学校や友人関係がこの世界の全てだと思い込みがちだけど、そんなことは全く無いから、病んだり死を選んだりするくらいなら、学校なんてまじ行かなくていいから」的な事を言ったら、校長先生に怒られた笑。

学校以外に行き場なんて無い、と思い込んじゃうから、逃げ場を失って追い詰められてしまう。中学生の自殺なんてあまりにも辛すぎる。学校だけが全てじゃない、行かなくても生きてたら何とかなる、と大人が色んな世界を見せてあげる事が大事。昔は近所にそんなダメ親父(笑)がたくさんいたんだよね。

希望の国のエクソダスじゃ無いけど、学校以外に魅力的な場所が出来たらみんな一気に不登校になってそっちに行っちゃいそうな気がする。そのくらい閉塞感に包まれてる。不登校という選択が負け組の様に捉えられるのは本当におかしい。だったら過激なまでに「学校なんて行かなくていいよ」と僕は言いたい。

中学二年で不登校になり、数年間家に引きこもった僕が何とか生きて来れたのは、「学校に行かない」という僕の選択を、親が尊重し受け入れてくれたから。親にも先生にも「逃げるな、とにかく学校に行け」なんて言われたら、死にたくなってただろう。世間体より子を守ってくれた親には感謝です。

起立、気をつけ、礼、前へ習え、なんて所からもわかる様に、小中学校の教育のベースにあるのが軍隊だからなあ。「行かない」なんて選択肢はそもそも存在しない仕組みになってる。だから逃げ出せない。逃げ出したら死刑、なんていつの時代だよ。中学生の自殺、あれは自殺じゃなく死刑もしくは他殺だよ。

居場所さえあれば、絶望しても何とか生きていけるもんだよ。とにかく学校に行け、としか大人に言われず、学校にも家庭にも居場所を無くした子は、一体どこに行けば良いのだろう。学校に行かない、という選択肢がもっとカジュアルになればいい。そもそも「不登校」なんて否定的な言葉を変えたいよなあ。

子供の「学校から逃げる」という行為は、ある種の自己防衛本能なんだよね。言葉にもうまく出来ない、子供の本能的な行動を、大人は受け入れてあげるべきなんだと思う。そんな本能は大人になるにつれ失われていくから「逃げるな、戦え」と強制させてしまいがちだけど。

就活自殺

就職失敗で自殺する大学生が1000人を超えたらしい。

(2018年4月17日追記: 数字が不正確でしたので訂正の上お詫びいたします。2013年執筆当時に参照したデータとして、正しくは「大学生らの自殺、初の1000人突破、就職失敗による自殺者は150人」です。平成23年度 内閣府公表 警察庁「自殺統計」および、産経新聞記事より参照)

悲し過ぎる。80社に申し込んでダメだったら人格全否定されてる気にもなるだろ。雇用情勢がどうとかじゃなく、就活しない生き方をみんなに知って欲しい…死ぬほどのことじゃない。

就活という同調圧力の中で、追い詰められて、絶望し、死を選ぶ。もはや自殺では無く他殺。悲し過ぎる。就活に悩む子に、それでも頑張れ、なんて僕は言えない。就職なんてしなくても死にはしないよ。休学でもニートでも何でもいい、逃げて自ら余白を作らないと、追い詰められて人は簡単に死んでしまう。

終身雇用も年功序列ももはや成立してないこの時代に、未だに新卒一括採用をやってるのが信じられない。どこもやめないから、こうやって死者が出るんだよ。若い子がそこにのみ希望を見出そうとするから、叶わない時に絶望して死んでしまう。大人たちがそういう空気を作っている。もうやめようよ。

何度も言うけど、追い詰められたら人は簡単に死ぬよ。その死は自殺では無く、もはや他殺。立ち向かうなんてもっての他、追い詰める側が引かない限りは、とにかく逃げて自分で余白を作るしかない。そして、逃げた先でまたその後のことは考えたらいい。就活以外でも同じです。

逃げるという行為はネガティブにとられがちだけど本来自己防衛本能として正しい行動なんだよね。ウサギはあの耳で敵を察知して逃げるでしょ。逃げるな戦え、と言われ続けた僕らはきっと防衛本能が衰えてしまってるんだろう。僕は死なないために逃げ続けて今ここにいます笑。逃げるのは悪いことじゃない。

いじめ

茂木さん: 苦しかったら、学校行くな。それは、君の権利なんだ。社会性なんて、学校行かなくても身につくよ。

ほんとそう思う。僕も中2で不登校になって結局高校3年終わるまで家から出なかったけど、何とかなってる。逃げたっていいんだ。

足が立ちすくみ一歩も前に踏み出せなくなるくらいなら、逃げたらいい。Bダッシュで逃げて、そこから出来る事を考えればいい。逃げたっていいんだよ、って声をかけてあげて欲しい。仕組みや根性論を強制して背中をぐいぐい押すのはまじで罪だと思う。

逃げるって選択肢をひとつ自分の中に持っておけば、もっと自由に生きていけるよね。立ち向かって玉砕するより、心が壊れてしまうより、よっぽど良い。

そして、子供達だけの未成熟な社会では他人への攻撃を律する事も罰する事も出来ないから、ちゃんと親や教師が介入しなきゃダメだ。いじめってのは他人の自由に対する侵害であり、犯罪だよって。

牛あいがけ

お金って何だろうと考える。生きてく為に必要なもの。確かに。食べたり生活インフラに必要。努力した人が報われるもの。うん。数値化された指標は解りやすい。より幸せになる為に必要なもの。んー。幸せって何だろう。見栄を張る事?美味しいものを食べる事?海外に行ける事?何だろう。

昼からビールを飲める事。あー確かに幸せだ。良い車に乗るため。悪くない。デザイナーズの服を身にまとう。女が欲しい。無いよりはあった方が良い。お金を欲しい色んな理由がそこにある。全部解るし稼ぐ事をディスる訳じゃない。でも。でもでも。無いなら無いなりの幸せはどこにあるんだろ。とも思う。

「最近のお前は変だ。もっと稼げ。逃げてるだけだ」と友人に言われた。今まで散々稼いで来た。もちろん上にはもっと居るけど何とか上場までした。豪遊したし高級時計も黒いカードも持った。その時は確かに楽しかった。でも何でだろう。幸せって何だろう。稼ぐって何?僕は何から逃げてるんだろう。

税金をたくさん納める事が偉いのか?納めたから何か得するのか?納めたから何かが変わるのか?稼ぐ事が悪いとは思わない。難しい事は抜きにして、僕が守るべき僕の大事な人たちが生きてく為のお金は単純に必要だと思ってる。でもそれ以上のお金を何で稼がなきゃいけないんだろう?んー

何か成したい、有名になりたい、認められたい、と言う気持ちはもちろんある。コンプレックスの塊だから。それが全ての原動力だから。嫌らしいけど「家入さんすごい」と単純に言われたい。認められたい。でもお金については良く解らない。持ってるからといって認められるとも思えない。

僕にはすき家の牛あいがけカレーもフレンチのフルコースも全く違いが解らない。どちらも同じくらい美味しいし、幸せな時間の密度が変わらなければ、この値段の差は何なんだろう?と思う。って事。要するに。あれ?違う?笑

下向いてデリート

見たくないメールは下向いてデリート、僕のライフハック。褒められたもんじゃないけど、責任に押しつぶされて鬱になったり死んじゃうくらいなら、自分を守るために適度に逃げる事が出来るスキルは今後みんなに必須だと思ってる。自分自身が自分を守れなくてどうする。

こんな僕でも社長になれた、電子書籍で発売開始

逃げることは、決して悪いことじゃない。前に進めなくて立ち止まるくらいなら、全力で後ろ向きに走ればいい。尻尾を巻いて逃げてしまえばいいのだ。

5年前に出版した僕の本が、電子書籍になり再度発売されました。

こんな僕でも社長になれた(パブー電子書籍版)

貧乏、イジメ、登校拒否、ひきこもり、両親の離婚、月収6万で新聞配達〜paperboy&co.起業、東京進出へ…みたいな所までが収録されています。文字にするとなんか悲惨だね。笑。

実はその後、上場したり、上場した直後に辞めてカフェ事業を立ち上げてみたり、海の家で大損こいてみたり、六本木でうん千万飲んで金無くなってみたり、キャンプファイヤーを立ち上げてみたり、と色々とあったりして、人生って山あり谷ありで面白いなあって感じなんだけど、そこはまた別にいつか書籍化出来るといいなあとか企んでたりします。

僕の単著としてはまだこの1冊のみなんですが、今年これとは別に2冊ほど刊行する予定です。内容はまだ未定だけど。お楽しみに。詳細が決まり次第、またブログやTwitterなどでお知らせしていきます。

下記リンクは書籍版こん僕だけど、絶賛絶版中!プレミアがついててうける。書籍版もいつか他の出版社さんで出したいなあ。

他、僕のインタビューや対談記事が掲載されてる書籍。こちらもよろしくです。

Bダッシュ

真っ向から戦う勇気が無く自ら命を絶つ人がどんだけ多いか。「逃げてもいいんだよ」と誰か一人でも言ってあげられなかったのか。闘って身も心も擦り減らして生きていくくらいなら、真逆の方向に逃げればいい。全速力で逃げればいい。逃げるのが恥と誰が決めた。逃げて生きていつか見返してやればいい。