All posts tagged “死生感

目を背ける

僕らはいつだって死から目を背けて張りぼての希望にしがみついて生きている。イルミネーションやラブソングはキラキラ輝いて死の気配を見えなくするが、死の気配なんてものはいつだって僕らの側にある。死と対峙することから見えてくる生があるはずだ。光は闇を消し去るが闇からは光が良く見える様に。… READ MORE

フラスコ人生

人生なんてしょせん死ぬまでの実験だよなあ。そう考えれば失敗も恥ずかしい思いも全ておいしいネタになる。失敗も成功も怒りも涙もコンプレックスも辛い過去も全部フラスコにぶっこんでグツグツ煮ちゃえ。生きてる意味なんて、死んだ後にしかわからない。実験実験。… READ MORE

死の気配

人の死に触れて思うのが、死の気配みたいなものだ。普段はみんな目を背け、気付かないふりをして生きているが、死の気配は常に人のそばにある。身近な人の死によってしかそれを思い出せないのは悲しいが、その死に意味があるとするなら、そういうことなんだと思う。生きるとは、死を感じること。

街中では恋の歌が流れ、雑誌や本には夢や希望の文字だらけ。別に悪いことじゃ無いが、それは死の気配を意識したくない人間が求めるからなんだな。そういった言葉でラッピングして見えないようにしたところで、死の気配からは逃げられない。夢を持つほど、幸せであるほど、死の気配は大きくなっていく。

死にたい、と願う気持ちは、死の気配の端に触れている。死を考え、死を感じて生きる。夢や希望だけを見て、死の気配に気づかないふりをして生きるより、よほど健全な気もする。生きたくてもあっさり死んじゃう人も、死にたくても死ねない人もいる。死ぬときは死ぬんだよね。僕らは死ぬ為に生きている。… READ MORE

しにたい=しあわせになりたい

「しにたい」とは「しあわせになりたい」の略だ、なんて上手いのか上手くないのかわからない話を聞いた。でも確かに、幸せを求めることは苦しみを抱える事であり、苦しみを抱えると人は死にたくなるもんだ。死ぬとき、全ての執着から解放され幸せになれる。そういう意味ではまあうまいこと言うなあと。

この世は絶望に満ちている。希望を持つから絶望する。絶望からはじまる繋がりで、破壊力で、僕らは生を通して表現し続ける。大先輩だけど宮崎駿さんの引退の言葉「この世は生きるに値する」は絶望の先から生まれた言葉だと思う。僕にはまだ生きる意味もわからないが、死ぬ意味もわからないから、とりあえず生きながらえている。… READ MORE

骨を呑む

自分の生きてる意味なんて、死んだ後にしかわからない。生きてれば辛い事なんてたくさんあるけれど、それを意味あるものに出来るか出来ないかは、生きてる間に自分がどう動くか。同様に、身近な人の死も、結局のところ死んだ後にしかわからない。いなくなって初めてありがたみを知る。悲しいけど。

ゴッホの評価が死後に上がった様に、生きてる間の価値なんて、結局のところ意味が無い。そういう意味で死ぬタイミングみたいなものはあるのだなあとは思う。坂本龍馬が、尾崎豊が、ジェームズディーンが、リバーフェニックスが早死にした様に。有名無名に関わらず、それぞれにそれぞれの死の意味がある。

いやまあそのなんだ偉そうな事言ってみたものの。結局のところ、自分が生きてる意味なんて、死んだ後に残された人がそれぞれにつけるって事だ。自分の死を、ある人は人生の転機にするだろうし、ある人は素通りするだろうし、ある人は文書に残すだろう。そういう意味では、自分の生に、意味は無い。… READ MORE