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16歳

本日16歳の子がCAMPFIREに入社した。奇しくも本日、16歳の子たちがやっているe-sports企業にNOWとして出資した。学校で学ぶことは本当に尊いが、もはや居場所や選択肢は、学校以外にも存在する。だから学校に馴染めなくとも、いじめられても、きっとあなたの居場所はある。…‬と、声を大にして伝え続けたい。かつてそうだった自分が大きくなった今できることは、下の世代に居場所を提供し続けることだと信じて。

リバ邸が法人化します

リバ邸が会社になります。リバ邸2.0の始まり

リバ邸への思いを語りました。ライフワークとしてこれまでも、そしてこれからも継続していく居場所作り活動のひとつを、バトンという形で次の世代に渡したいと思います。

リバ邸を地域・海外で立ち上げたい子、リバ邸本部の運営に関わってみたい子は、記事最期のコンタクトフォームからぜひ連絡してください。

そしてこれはまた後日発表しますが、リバ邸をプラットフォームにしていきます。

逃げるという選択肢

なぜだか今になって、2013年に書いた記事が最近バズっていた。
就活自殺

何度も言うけど、追い詰められたら人は簡単に死ぬよ。その死は自殺では無く、もはや他殺。立ち向かうなんてもっての他、追い詰める側が引かない限りは、とにかく逃げて自分で余白を作るしかない。そして、逃げた先でまたその後のことは考えたらいい。就活以外でも同じです。

逃げるという行為はネガティブにとられがちだけど本来自己防衛本能として正しい行動なんだよね。ウサギはあの耳で敵を察知して逃げるでしょ。逃げるな戦え、と言われ続けた僕らはきっと防衛本能が衰えてしまってるんだろう。僕は死なないために逃げ続けて今ここにいます。逃げるのは悪いことじゃない。

逃げて逃げて、居場所を見つけて態勢を整えて初めて、「さあ、さて次どうしようか」と、冷静に考えることが出来ると思うのですよね。人は本当に簡単に死んでしまう。逃げることを正当化するつもりはないが、生きる上で、逃げるという”選択肢”もあってもいいのでは無いか。

お前は逃げたその後にそれなりに上手くやってきたからそんなこと言えるんだ、と言われたら、はいその通りです、としか言えない。自分の成功体験から発言する以上、アドバイスなども含めて、すべての発言はポジショントークになってしまう。それでも、大人の提示すべきは、生きる上での選択肢だと僕は言い続けたい。

僕は「逃げろ」と言うだろう、ある大人は「戦え」と言うだろう、表面的には前者が優しそうだが、首根っこ捕まえて逃がさない方が本人のためになることもあるだろう、それでも僕は、”優しさ”とは自分が辛かった時にかけられたかった言葉を、いま同じ状況にある他者にかけてあげることだと信じています。

ましてや学生の時など、自分の見えている世界が狭すぎて、逃げるという選択肢すら自分の中に持てずに、心が折れるまで戦ってしまうことは多々あると思うのですよね。「学校か家か」「会社か家か」の二択しか無い世界では、今いる場所からこぼれ落ちまいと、必死でしがみついて、心が疲れきってしまう。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。年末に誕生日も迎え、早いもので30代最後の年になりました。僕の人生のテーマである「居場所をつくる」から、今年は「居場所をつくる人をつくる」にシフトして、あらゆる活動を通じて包摂モデルを形にしていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

CAMPFIREやBASEなどを通じた金融包摂の実現、リバ邸などの居場所づくりを通じた社会包摂の実現、エンジェル投資を通じたスタートアップエコシステムへの貢献、この3つに引き続き力を入れていきます。数は大事ではないが、今年で合計の投資先は100社を超えると思います。

20代前半で起業し、上場したのがちょうど10年前の29歳でした。30代の10年はろくでもないこともたくさんやらかしましたが、社会課題に民間からどう向き合うか、という視点で様々な活動の下地を作ってきました。来年からの40代の10年間をどう生きるか。起点となる最後の一年なので、「ぶっ倒れるなら前のめり」精神でしっかり突っ走りたいと思います。

CAMPFIRE忘年会

お酒も入り、楽しそうなみんなの顔を見ていると泣きそうになります。この一年で50名以上増え、100名近くになりました。生きてるといろんなことがあります。これから辛いことがあった時に、『CAMPFIREで働いていてよかったな』と思える場所を作るのが、僕の仕事です。辞めても戻ってきたいと思ってほしい。僕は、みんなのことが大好きです。

軽やかな雇用関係

CAMPFIRE、副業規定が自由すぎて、自分の会社があるやつとか、メジャーデビューしてるやつとか、おにぎり屋さん始めちゃった子とかいる。

従来の副業禁止のような仕組みでガチガチの枠にはめようとするから、優秀な人が去っていくのではないか。辞めるか/残るか、なんてゼロイチではなく、グラデーションで働き方を多様にしていければ、引き続き関係を軽やかに保っていくことができる。CAMPFIREはそういう会社でありたい。

そう言った意味で、正社員か業務委託かアルバイトかインターンかなんて区分は割とどうでも良いし、少なくとも僕は一切区別をしていない。社内のみんなもそうであると思う。人と人の付き合いに、契約形態がどうかは関係ない。もちろんそれぞれの望むリスク/リターンに応じた契約形態を用意しています

ワーキングマザー・ファザー、親の介護、心・体の問題などなど、様々な課題を、企業が解決していかねばならない時代になっていくでしょう。そんな時、この会社で働いてて良かった、と思える居場所にしていきたい。まだまだですが。

第一弾として赤ちゃんが遊べるスペースを社内に作ってみたものの、そもそも渋谷まで赤ちゃんを連れてくること自体がなかなか大変であるという…もっと考えねば…

そんなCAMPFIREの募集一覧はこちらです!あなたを求めています!

https://www.wantedly.com/companies/campfirejp/projects

ミスiDの審査員として

ミスiD 2016の審査員をさせていただきました。

ミスiDに応募してくる子たちは「私なんて本当にダメダメだし生きていてすいません…」みたいな子から「私が可愛いことは私自身がよくわかっています!みなさんも私のこと好きですよね!」みたいな子までいて、本当に振り幅が大きい。スターはカオスの中から生まれるということを実感する。

審査員を引き受けるまでは「夢や希望を見せるという行為は残酷であり罪深い」と思っていたが、審査会場に来て震えて泣きはじめる子たちを見ていると「ああ、夢にすがらなきゃ生きていけない子たちもいるのだ」ということを思い知った。ミスiDはそう行った子たちのよすがとなっている。

批判などが多いことも知っているが、こんなカオスなミスコンがかつてあっただろうか。とも思う。様々な意見はあれど、応募してくる子たちは死ぬ気でステージに立っている。もちろん主催の小林さんも、審査員たちも一人一人に真摯に向き合っている。この空間だけが真実だ。

今回どんな結果になろうと、決して否定されたとは思わないでほしい。誰も否定などしていない。世界は広い、どこかに居場所はある。立ち向かわずとも、逃げて逃げて逃げまくればいい。

ガタついた歯車

社会不適合者しか入れない組織作る。

学校にしろ会社にしろこぼれ落ちちゃう子は今のシステムとの相性が悪いだけで裏を返せばどんな人間とも代替不可能なヒーローになる可能性を秘めていると思います。今のシステムでは会社にしろなんにしろ面倒臭い人間を入れた担当者が叱責を食らうので無難な良い子だけが組み込まれてく仕組みになってる。

歯車という例えは適切では無いかも知れないけど、今のシステムに適合する歯車は誰とでも代替可能で、いつでも交換されてしまう。システムに合わないガタついた歯車だからこそ、そのガタつきが生きる場所が見つかれば、それこそそのガタつき故に、どんな誰とも交換しづらいものとなる。と思う。

与えられた居場所で生きて、今度は居場所を与える側になっていけばいいのだと。かつての自分の様な人間に対して。

強さでしか生きられない社会から振り落とされてもなおそんな人間に強さを求めるというのは酷な話で、弱い人間が弱さ故につながり生きていく社会がぼくは美しいなと思うのだけど。淘汰を生まない仕組みこそが、人間の生存戦略だったはずだしね。

淘汰を容認するということは、自分もまた淘汰される側にいつだってなり得るということです。そんな社会は底抜けだろう。

厨二病のまま生きる

厨二病のまま生きてくには二つある。一つは厨二であることがむしろ評価され多くの人たちと関わる職種を選ぶこと、しかしこれで食っていける人は極一部で、中々に難しい。もう一つは自分を評価し受け入れてくれる人を一人でもいい、身近に置くこと。

永遠の厨二病であるぼくらが厨二のまま生きていくには自立を勝ち取らねばならない。自立とは二つ、一つは経済的に誰にも依存しないということ、そしてもう一つは居心地の良い人間関係を自ら選択し構築するということである。自立とは一人で生きることでは無く、環境を自ら構築することなのだ。

リバ邸などのシェアハウスに飛び込んでみることは、自立のひとつのきっかけにはなるだろう。安く住め(経済的自立)同じ様な思いを抱えた他者と繋がれる(孤立の回避)。ただ勘違いしてはいけないのは、それはあくまできっかけであり、また、全ての人に居心地の良い場所・関係なんて無いということだ。

どのみち厨二のまま生きるとは獣道を歩く様なものなのだ。君に幸あれ。

居場所としてのイスラム国

イスラム国に行こうとした北大生についての茂木健一郎さんのこの見解に激しく同意。イスラム国のあのプロモーション動画を見たときに、心揺さぶられるものが僕にもあったのを否定できない。 → 日だまりについて。 https://www.facebook.com/kenichiromogiqualia/posts/591372850989376

ちょうど上祐さんの「オウム事件 17年目の告白」読み終えたとこなんだけど、今回の件は多くの人が指摘してる様に、優秀な学生がたくさん入信したオウムと被るところがとてもある気がするよ。次はしんぺーに教えてもらった田原さんの「連合赤軍とオウム -わが内なるアルカイダ」読もうかな、と。

イスラム国やオウムの様な宗教がこぼれ落ちた子の居場所になりえる中で、ひとつの可能性として自分もそこに居場所を求めたかもしれないなと考えたら、ただ一方的に叩くような事は出来ないなと思う訳です。もちろん犯罪は許されることでは無いが、本当に紙一重だと思いながら生きている。

居場所の無い人間は崖っ淵をそろそろと歩いていて、バランスを崩せばいつでも向こう側に転落してしまう。その時そこに網があれば、どんな網であれ死に物狂いで捕まるだろう。自分が今のところ暴走する宗教を盲信してないのも、犯罪をおかしてないのも、ただ「たまたま」なんだと思う。紙一重なんだ。

違いを違いとして

僕らが”現代の駆け込み寺”と称してやっているシェアハウス、リバ邸がNHKのハートネットTVに出てました。

日本各地にあるリバ邸は自主性に任せているので色も住人も運営スタイルもバラバラだけど、外部からは「リア充ぽい子が多いイメージ」だなんて声が聞こえてくる事も少なくない。

一見リア充に見えるからこそこれまで見過ごされてきてギリギリの所を生きてる子も社会にはたくさんいると思う。リア充だけど病んでる人も、非リアだけど人生が充実してる人も、そりゃいるでしょうよ。リア充/非リアで人間を分けるやり方は、勝ち組/負け組という言葉くらい僕は嫌いだな。

リバ邸が全ての子の居場所になれるなんて思わないし、実際去った子もたくさんいる。がっかりしたり、居心地悪い思いをした子には申し訳なく思うし、別の居場所が見つかることを祈る。並列に、そして深さによってレイヤー別に居場所がたくさん出来ると良いね。その一つがリバ邸になれたらそれでいい。

リバ邸は全ての子の居場所にはなり得ない、こぼれ落ちてしまう子も出てきてしまう。これを前提とした運営をするしか無い。たくさんの子に訪れてもらって一部でも「リバ邸があって良かった」と思える出会いがあればそれでいい。そのためにメンバーが自主的にイベントや訪問対応を頑張ってくれている。

説明のためにあえて使うけど、リバ邸にはいわゆるリア充もいれば意識高い子も非リアも普通な子も挙動不審な子もいますよ。めんどくさいの、プライド高いの、何だっているだろう。ただ、自分と他者は違うものだということを前提に、違いを違いとして受け入れ他者に優しくあれる場所であって欲しいと思う。

そんな中で一つ言えるのは、いじめや家庭環境など辛い過去がある子は、その分、他者の痛みが理解出来るということです。つまり他者に優しくなれる。例え見た目がチャラくても、意識高くても、性格が合わなくても、その一点で繋がることが出来れば、違いを違いとして受け入れることは出来るんじゃないか。

どんなに有名な人だって、どんなに強そうな人だって、どんなに嫌いな人だって、心の穴を隠すために強がってるだけだと思えば、そんな簡単に石なんて投げられなくなるよ。あいつは自分なんかとは違う(だから攻撃してよい)という発想が、他者を容易に傷つけてしまう。

新陳代謝

もう何代目になるかもはや把握してないけど、リバ邸六本木は毎回いい感じにやる気のある子が入ってきてるなあ。日本中のリバ邸もうまく新陳代謝されてどんどん成功する子たちを輩出していける仕組みにしていきたいね。

リバ邸における成功とは、自分の物語を見つけて巣立ってくってことかな?まあ例え挫折してもまたいつでも戻ってきたらいいし。みんな「おかえり」と言ってくれるよ。リバ邸はそんな優しい駆け込み寺です。辛い思いをしたからこそ、他者にも優しく出来る子が多い。

そんなこんなで、全国リバ邸、お年寄りプロジェクトも進めつつ、お寺を使わせていただいて色んなイベントやプロジェクトもやってく予定です。それこそ寺子屋的な感じで、子供向けの新しい学校や、瞑想・メディテーションをやっていきたいなあ、とかとか。

何者でも無い存在になれる居場所

僕がよく使う「居場所」という言葉。意味を聞かれることも多いけど、端的に言うと「おかえり、と言ってもらえる場所」。初めて来る子にも、駆け込んできた子にも、出戻りの子にも、とりあえず理由は聞かずに、「おかえり」と声をかけてくれる人がいる場所。それが「居場所」です。

宮台真司さんがリバ邸に寄せてくれた文章の中では「何者でも無い存在になれる場所」と言ってくださったけど、その通りだなあと。年齢や立場、肩書き、思想、過去、国籍、性差、ハンディを飛び越えて、まずは「おかえり」と出迎えてくれる場所。そんな場所をたくさん作りたいね。

おかえり

「おかえり。」っていい言葉だなあ。日本語で一番好きかもしれない。たとえ何があっても、戻ってきさえすれば「おかえり。」と言ってもらえる場所、関係。そんな場所を増やしたい。

二種類の居場所

京都のコミュニティ、やっぱいいなあ。暖かいというか。今日はさすがに寒くてダメだったけど、鴨川沿いで、立場とか年齢とか飛び越えて朝方まで飲める場所があるというのは稀有だと思う。何者でもない自分になれる場所は、東京には少ない気がするよ。

渋家の齋藤君と話してて面白かったのは、居場所には二種類あるという話。いわゆるセーフティネット的な居場所と、もうひとつは、より人生を充実させるための居場所。この二つは混同しない、させないほうが良いと。なるほどなあ。

居場所をつくる人、をつくっていきたいね。ぼく一人で10000人の居場所をつくるよりも、100人の居場所をつくる人を100人つくったほうがスケールするし、持続可能だし、多様な場所が生まれる。そのために、日本中で居場所をつくってる人たちと会って、話して、感性に触れて行きたい。