違いを違いとして

僕らが”現代の駆け込み寺”と称してやっているシェアハウス、リバ邸がNHKのハートネットTVに出てました。

日本各地にあるリバ邸は自主性に任せているので色も住人も運営スタイルもバラバラだけど、外部からは「リア充ぽい子が多いイメージ」だなんて声が聞こえてくる事も少なくない。

一見リア充に見えるからこそこれまで見過ごされてきてギリギリの所を生きてる子も社会にはたくさんいると思う。リア充だけど病んでる人も、非リアだけど人生が充実してる人も、そりゃいるでしょうよ。リア充/非リアで人間を分けるやり方は、勝ち組/負け組という言葉くらい僕は嫌いだな。

リバ邸が全ての子の居場所になれるなんて思わないし、実際去った子もたくさんいる。がっかりしたり、居心地悪い思いをした子には申し訳なく思うし、別の居場所が見つかることを祈る。並列に、そして深さによってレイヤー別に居場所がたくさん出来ると良いね。その一つがリバ邸になれたらそれでいい。

リバ邸は全ての子の居場所にはなり得ない、こぼれ落ちてしまう子も出てきてしまう。これを前提とした運営をするしか無い。たくさんの子に訪れてもらって一部でも「リバ邸があって良かった」と思える出会いがあればそれでいい。そのためにメンバーが自主的にイベントや訪問対応を頑張ってくれている。

説明のためにあえて使うけど、リバ邸にはいわゆるリア充もいれば意識高い子も非リアも普通な子も挙動不審な子もいますよ。めんどくさいの、プライド高いの、何だっているだろう。ただ、自分と他者は違うものだということを前提に、違いを違いとして受け入れ他者に優しくあれる場所であって欲しいと思う。

そんな中で一つ言えるのは、いじめや家庭環境など辛い過去がある子は、その分、他者の痛みが理解出来るということです。つまり他者に優しくなれる。例え見た目がチャラくても、意識高くても、性格が合わなくても、その一点で繋がることが出来れば、違いを違いとして受け入れることは出来るんじゃないか。

どんなに有名な人だって、どんなに強そうな人だって、どんなに嫌いな人だって、心の穴を隠すために強がってるだけだと思えば、そんな簡単に石なんて投げられなくなるよ。あいつは自分なんかとは違う(だから攻撃してよい)という発想が、他者を容易に傷つけてしまう。