ただの器

やれ「あんな発言をするやつと組むなんて」「共産党に家入は騙されかけてる」なんて意見があるのだけども。

騙されるほどバカじゃないし、一部の発言で人を判断するほど薄情でもないつもりです。人間みんな自分の思惑で生きている。そんなの前提でしょう?その思惑を超えて、この今の日本で為すべきことがあるってことだよね。みんな優しくいこうよ。

こんな多様化して複雑な社会で、右とか左とか、保守とかリベラルとか、そんな単純なラベルで判断しようとする事自体が問題だと僕は思うよ。即原発ゼロのシングルイシューも同じです。

みんなお互いに認め合う優しい社会を目指す僕として、あえて言うのであれば、右傾保守化は小さなきっかけが在日などの方へのリンチに発展しかねない(ヘイトスピーチなどで既にそうなってるとも言えるが)と思うし、かといって左リベラルにそれを抑止する力なんてもはやないし、とは思ってます。

ただ、僕がお互いを認め合う「居場所」を掲げるように、右傾保守が、これからの日本や人生に不安を抱える人の「居場所」になってるという理論もすごくわかる。それだけに、右とか左を飛び越えて、お互いに対話が必要だと思うのですよ。

だけど、村上春樹の言葉を引用するのなら、「壁と卵があるなら、僕は卵の側に立つ。例え圧倒的に壁が正しくて、卵が間違っているとしても。」です。僕は。常に。

僕の目指すそんな社会を、青臭いそれこそ理想論だ、と言われてしまうのであれば、それはそれ、理想論ですがなにか、と割り切るしか無いのだけどもね。生きるって、お互いを認め合うって、大変だ笑。

まあ僕は、ただの空っぽな器として、皿として、イデオロギーも持たず、全てを無効化する存在でありたい。そう思ってます。