いや知らんけど

扠も扠も人間の一世はがてんの行ぬは元よりの事、うんのわるいものはふろよりいでんとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。それとくらべては私などは、うんがつよくなにほど死ぬる場へでゝもしなれず、じぶんでしのふと思ふても又いきねばならん事になり… – 坂本龍馬

毎朝同じ道を通り、毎晩同じ道を帰る。せめて道の途中でハプニングなど起きれば人生に彩りを添えるかもしれないが。んなこともそうそうアルワケ無くて。んだつたらどうするの。彩りを外に期待するのか。それとも期待出来ないものに依存するのでは無く自分が変わるのか。それは委ねられている、常に。

繰り返しの糞つまんね毎日を送る自分が明日も生きてる保証なんて無い中でもうクリスマスや年越しの心配や老いた親の行く末や自分の将来を考えるとかちゃんちゃらおかしいその一方で蝉が鳴いて糞眠れない朝を迎えやはり布団から出たくねえ糞蝉蝉蝉なんてことを思いながらまあそんな人生も悪くないなと。

今年は蝉が少ないらしいと誰かが言ったコトシハツユガコナカツタカラアブラゼミガスクナイなるほどそれは結構しかしそれが一体僕の人生に何を彩るというのだろう産まれるタイミングを失った蝉は蛹のまま土の中で腐り死ぬが僕は数少ない孵化した蝉の様に声をあげる事も無くただ惰性のまま生き続けている。

余計な夢を見なくとも生きていける様毎月振り込まれる給与はまるでブロイラーに与えられる餌でありそこに無思考に依存し匿名の仕組みに効率よく組み込まれていく鶏は何を思い何を感じるのか。例え夢を見ても明日生きて目を覚ます保証などどこにも無い。ならば夢など見ぬ方がやはり幸せなのか。

いや知らんけど。