マネージメントしないマネージメント

僕らのやっているLiverty、そして今日本中に増えつつある”現代の駆け込み寺”リバ邸。よく「どうやって管理してるんですか?」と聞かれるが、正直全く何も管理していない。プロジェクトもシェアハウスも、”やりたい”という子がいる限り、基本的にその子に任せている。マネージメントをしない、というマネージメント笑。

全てを把握してマネージメントしようとするから、コストが莫大になってしまう。そもそも感情の生き物である人間を完全に管理・コントロールしようとするのが間違いで、”人を管理することなんて出来ない”という前提の元、その個々の人間とどうつきあっていくのか、を考えなきゃいけない。

リスクマネージメントも全く同じで、そもそもリスク管理とは「リスクは決してゼロに出来ない」ということを前提に、どうそのリスクと付き合っていくか、という物だったはず。危険か安全か、そんな二元論で判断するから、リスクをゼロにしようとする。ゼロにしようとするからコストが莫大になる。

どれだけ防波堤を高くすれば津波を防げるのか。10m?20m?30m?津波リスクをゼロにしようとするとキリが無い。コストばかりかかった挙句、もしかしたら40mの津波がくるかもしれない。それは分からない。だったら、津波とどう付き合うか、を考えた方がより建設的だよね。実際に壊れやすい設計というのもあるくらいだ。

日本はよくも悪くも、固定した枠にはめて思考をしがちだ。それで良かったのは“安全神話という幻想”が機能していた時代の話。今は人だけじゃなく、産業も技術も情報もものすごい勢いで変わっている。こうすればいい、という答えを見つけようとするのではなく、状況に対して変化できる環境をもっておくのが大事だ。

明日何が起きるか全く予測出来ない。そんな時代において、1つの考えに従って上から全部をコントロールしようとするのはナンセンス。そういう意味で、僕らはあえてマネージメントをしない、と宣言している。ついつい何かに依存しちゃうから。むしろ変化を前提にした、メンバーとの繋がりや環境設定を意識している。

「空気」の問題もそうだけど、正解なやり方が決まっている中で別のやり方を採用しようとすると嫌われる。まるで全体主義時のアナーキストのように笑 だけどLiverty的な“マネージメント”もやっておかないと、二元論的な正解がダメになったとき動けなくなる。それが一番のリスク。僕らは柔軟に変化して生き抜いていくよ。