曖昧になる世界

不安定な世の中、ソーシャルの浸透、グローバル化などであらゆる境界線が曖昧になる中で、自分を中心とした小さなコミュニティを作ろうとする動きが増える気がする。シェアハウスや私塾といったものもきっとそうだろう。会社や学校、国といったものが自分を守ってくれないことを知ってしまった。

頼りになると信じてたものが、あっけなく不景気や地震で壊れてしまうことを知ってしまった。いじめから学校が守ってくれないことを知ってしまった。鬱や過労死からも企業は守ってくれないよ。逃げ遅れる前にダッシュで逃げる。命を失うくらいなら立ち向かわなくていい。逃げた先に居場所を作ればいい。

最近感じるのはLivertyは自分の居場所を作るためのプラットフォーム型組織になりつつあるということ。自分の居場所を作るための場所。ある子は勝手に仲間を集めてウェブサービスを始めるし、ある子はシェアハウスを始める。自分なりの場所を模索しながらLiverty内で作りはじめている。

自分を中心とした小さなコミュニティを作り、承認欲求を満たしてく。会社や学校といった昼の顔とはまた違う別の顔を持って、仲間と一緒に複数のプロジェクトを立ち上げていく。それがある種のセーフティネットになり得るんじゃないかなと。Livertyの中でそういった動きが少しずつ出始めている。

本来なら学校や地域社会がそういった場所だった。その場所がいま無いのなら、ぼくらが作ればいい。逃げ場としてのコミュニティ。