吸収力

僕が若い子を好きなのは変化の早さと吸収力のやばさを知ってるから。「何も出来ないし何したいかもわからない」と言う20歳の子が二週間で別人の様にエンジニアとして成長する。「こんな僕を信じてくれたからです」と彼は言うけど僕は何もしてない。信じられるだけの行動を彼自らがとった結果。

僕も21でロリポップを立ち上げた時はそんな感じだったなあ、と思い出すと共に、今はその吸収力はもう無いな、とも感じる。だったら僕は僕が経てきた経験の中で、教えられる事を教える事で、若い子を育てたい。そして一緒にものを作りたい。それが年長者の役割だと思ってる。発言がジジイみたいだな。

ソーシャルの中で本当に気持ち悪いと思うのが、年長者による若者いびり。彼らは「教育だ、正当な批判だ」と言うけど、そこに良心の無いアカの他人からの苦言はいわゆる「可愛がり」にしか見えない。迎合する必要は無いけど、叱咤も教育も身近な人間が愛を持ってやるから説得力を持つんだよ。

ソーシャルの中だけの話でも無いか。その年齢でその立場ならもっと担うべき役割があるだろう、とよく思うんだよね。難癖つけたり斜め上から批判するんじゃなく、もっと違うアプローチで教えてあげられる事があるんじゃないか?と。まあ僕がいくら言ったとこで変わらないから僕はやれる事をやるだけです。

色んな大人が色んな思惑で色んな事を言ってきたりするので、時には耳を塞ぎ、目だけ見開いて独善的に行動するのも悪く無いですよ、と。でも真摯にあなたの事を思って叱ってくれる人の言葉は聞いても良い。振り回される必要は無いけどね。