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情念の価値

ありとあらゆる物が物質から解放され、情報化され、極限まで複製のコストが下がった時、オリジナルとフェイクの価値の差なんて無くなるだろう。その分、オリジナルにのみ込められる、例えば情念のような物の価値は高騰する。

中国ではパズドラのコピーが多数存在していてそれぞれヒットしているらしい。ユーザーにとってそのゲームがオリジナルかフェイクなのか、そして作り手の思いなんてきっとどうでもいい事だろう。ゲームに限らずあらゆる物の複製コストが限りなく0に近づいていく世界。本物と偽物の境界線が曖昧になる。

オリジナルとフェイクの境界線が曖昧になっていく時、オリジナルが善、フェイクが悪といった倫理観でさえも薄まっていくだろう。オリジナルがオリジナルたり得るものは何か。それはきっと情念といった、数値化出来ない、匂いの様なものだろう。そこに価値が生まれる。… READ MORE

曖昧になる世界

不安定な世の中、ソーシャルの浸透、グローバル化などであらゆる境界線が曖昧になる中で、自分を中心とした小さなコミュニティを作ろうとする動きが増える気がする。シェアハウスや私塾といったものもきっとそうだろう。会社や学校、国といったものが自分を守ってくれないことを知ってしまった。

頼りになると信じてたものが、あっけなく不景気や地震で壊れてしまうことを知ってしまった。いじめから学校が守ってくれないことを知ってしまった。鬱や過労死からも企業は守ってくれないよ。逃げ遅れる前にダッシュで逃げる。命を失うくらいなら立ち向かわなくていい。逃げた先に居場所を作ればいい。

最近感じるのはLivertyは自分の居場所を作るためのプラットフォーム型組織になりつつあるということ。自分の居場所を作るための場所。ある子は勝手に仲間を集めてウェブサービスを始めるし、ある子はシェアハウスを始める。自分なりの場所を模索しながらLiverty内で作りはじめている。… READ MORE