All posts tagged “人間関係

嫌うことを怖がらない

嫌われるのを怖がる人は、人を嫌うことも怖がる。嫌いな人を無理に好きになろうとする努力なんてしなくていい、嫌いながら付き合っていけばいいんです。自分が他者から嫌われる様に、自分も他者を大いに嫌って構わない。完璧な人間関係を求めすぎるから、上手くいかない時に絶望してしまう。

他者を好きになるのには理由はいらないのに、嫌う理由についてはたくさん上げてしまうのは、理由無しに他者を嫌う自分が嫌だからなんだ。人を嫌うのに理由はいらない。”人を理由無しに好きにも嫌いにもなる自分”を容認できれば、人を嫌いになることも嫌われることも怖くなくなるんじゃないか。… READ MORE

等価交換的人間関係

人間関係にまで等価交換的な思考が浸透してしまっている。金を払ってるのだから、こんなに信用しているのだから、こんなに時間を割いてるのだから、こんなに愛してるのだから、こんなに頑張ってるのだから、等価となるものを寄こせ、返せ、と。だから満たされない時に損した気分になってしまう。

全ては等価交換であるべきだ、対価と同等の満足が得られて当然だ、と考える人は多い。等価交換では成り立たないものなんて世の中にはたくさんあるのに、そう思考するから満たされずに不満ばかりが蓄積されていく。そうして欲望が増大していき、また別のもので満たそうとしてしまう。

つまり、みんな消費者的態度でしか人間関係や物事を考えられなくなってしまっている。そのスパイラルに入ると「損した」という不満を常に抱えることになってしまう。金を損した、時間を損した、手伝って損した、心配して損した、愛して損した…なんてね。それって本当に損得で考えることですか、と。… READ MORE

付き合いの濃淡

身近な人であっても遠くの人であっても、他人との間に「僕」「あなた」以上の重み付けや濃淡をつけることが、先天的なものなのか、僕には出来ないことが最近わかった。だから身近な人ほどどんどん離れていくのだろう。僕が思う以上に、人は関係性を重視し、そこにラベルを付けたがるものなのだ。

「僕」と「あなた」という点を繋ぐ紐を引き、その紐に「友人」「恋人」「親子」といったラベルを付け、強度や距離で相手との関係性を確認する。繋がりとは、そういうものなのかもしれない。でも残念ながら、僕にはその紐をうまく感じることが出来ない。だからよく怒られたり呆れられたりしてしまう。… READ MORE

人間関係

アドラーが言うように笑、悩みの大半は他人との人間関係に収束するね。親や彼氏彼女にかけられた呪い、集団における自分の立ち位置、友人関係、他人から見た理想の自分と現実の差異、etc…。言葉は違えど、他人と自分の問題が切り分けられてない。

親がこう生きろと言う、自分はこう生きたいと思う、でも行動に移すと親は悲しむ。過去にこんな事を彼氏彼女にされた、自分はそれで病んだ、だから行動に移せない。シビアなことを言うと、それは全てそれを理由にして行動しない自分を自分で受け入れてるだけなんだよね。自分の人生を生きていない。

自分がこんなことすると、親が、彼氏彼女が、友人が、他人が、嫌がるかも、悲しむかも、怒るかもしれない。それはさ、そう思う当事者である他人が自分自身で解決すべき問題であって、あなたが考えるべき事では無い。そうやって問題を自分と他人で分けることが出来れば、もっと人生はシンプルになる。… READ MORE