ガタついた歯車

社会不適合者しか入れない組織作る。

学校にしろ会社にしろこぼれ落ちちゃう子は今のシステムとの相性が悪いだけで裏を返せばどんな人間とも代替不可能なヒーローになる可能性を秘めていると思います。今のシステムでは会社にしろなんにしろ面倒臭い人間を入れた担当者が叱責を食らうので無難な良い子だけが組み込まれてく仕組みになってる。

歯車という例えは適切では無いかも知れないけど、今のシステムに適合する歯車は誰とでも代替可能で、いつでも交換されてしまう。システムに合わないガタついた歯車だからこそ、そのガタつきが生きる場所が見つかれば、それこそそのガタつき故に、どんな誰とも交換しづらいものとなる。と思う。

与えられた居場所で生きて、今度は居場所を与える側になっていけばいいのだと。かつての自分の様な人間に対して。

強さでしか生きられない社会から振り落とされてもなおそんな人間に強さを求めるというのは酷な話で、弱い人間が弱さ故につながり生きていく社会がぼくは美しいなと思うのだけど。淘汰を生まない仕組みこそが、人間の生存戦略だったはずだしね。

淘汰を容認するということは、自分もまた淘汰される側にいつだってなり得るということです。そんな社会は底抜けだろう。