すべての太ももは在庫である

おにぎりを無料にして海苔に広告、具をアイテム課金にしたい。

生産・流通コストが限りなく下がると、全てのモノは無料化(極端な低価格化)と高級嗜好品化の二極化をたどるんじゃないか。電子書籍に対する、所有欲を満たすリアルな書籍、音楽データに対する、その場限りのライブという体験、そしてそれこそ生産の自動化が進めば無料食なんてのもあり得るのかもしれない。もちろん生産者や表現者を軽視している、なんて話では無いのであしからず。むしろ、尊いが故に高級嗜好品化されていく。

ライブや旅行、セックス(?)といった高級体験ですらオキュラスが変えちゃう可能性もあるしなあ。

そうそう、昔セカンドライフが出てきた時に、現実世界では四畳半なんだけどセカンドライフ内では豪邸に住んでるとか、現実世界では足が不自由なんだけどセカンドライフ内では自由に走り回れるとかって場合、その人たちにとってのリアルは置き換わっちゃうんじゃないか、とか妄想してた。結局アレだったけどさ。

えっとそれでなんだっけ。フリーミアムが広がってけば、例えば1%の富裕層が大半の富を占めちゃったり、信用を失えばあっという間に紙切れになっちゃう貨幣なんかより、時間の方がよほど公平で信用出来るから、そのうち時間が貨幣に取って代わるんじゃないかって話ししてた。それでも「タイム」みたいに不老不死が実現したら金持ちならぬ時間持ち生まれちゃうけど。実際、時間の切り売りや時間と時間の物々交換は始まってるしなあ。

UberやAirBnBといった在庫流動化的な発想でいけば、全ての人の空き時間は在庫である。そして個々人の空き時間情報さえもGoogleが抑えてるという事実。

全ての空き時間も、全ての壁面も、全ての顔面も、全ての太ももも、全て在庫だ。この世は在庫で充ち満ちている。(僕らも昔、顔面広告というサービスやMacBookの背面を広告枠で売り出したりした。)

全ての在庫はシェアという形で流動化する。車もだけど、洗濯機や冷蔵庫も一家に一台も要らない気がしてる、家も醤油も。それって昔の村じゃん。新しい村では食材も家電も空き時間も鍵も全てスマホで管理・シェアされてる、名字は無く、みんなアカウント名で呼び合う。そこでヤマギシズムですよ 。行き過ぎた資本主義から原始共産主義への流れ。グローバル資本主義の中で生きるインターネットコミュニスト。シェアハウスなんかも、ある種現代版コミューン的なところはあると思ってる。

で、何が言いたいんだっけ、ええと、おにぎりを無料にしろよ、たけのしん。