疲れないインターネット

誰とでも繋がれる、誰でも何でも言える、表現できる。そんな夢みたいな世界がやってきたけど、なんだかうーん、どうも違う感。この違和感はなんだろう。

タイムラインを覗けば、毎日の様に何かしら何処かしらで炎上が起きている。石を投げる人たち、投げ返す人たち。そこにゴールは無い、論破するかされるか、最終的にアカウントを消すか鍵をかけてハイ終わり。なんなんだろう、この気持ちの悪さ。そこに幸せはあるのか。

違いを違いとして認め合う、違いを違いとして距離をコントロールする、多様性とはこういうことなんだと思う。人と人は決してわかりあえない。わかりあえないことを前提に、自らがどう立ち振る舞うか、なのだ。ゾーニングがうまくいってないのか、どうも今のネットコミュニティはそこがグチャグチャな感じがするのだな。

手の届く範囲くらいの人たちと緩くつながり、全公開では無く範囲公開で、炎上もしづらく、誰が見てくれてるかわからないけど、確かに誰かは見てくれてる、そんなコミュニティがこれからは来そうな気がなんとなくしてる。炎上もバズも無い、小さなコミュニティ。サロンは近いような気もするけど、いまいちまだ僕の中ではしっくり来てない。

個々人の承認欲求、自己実現欲求はまだまだ高まってくんだと思うけど、同時に居心地の良さとのバランスみたいなものもネットコミュニティに求められてくんじゃないか、世界中に発信できる・誰とでも繋がれる、から、手の届く範囲の繋がり・発信、誰かに必要とされてる感。いいねや友人の数じゃない世界。

よくわからないけど、コミケのサークルとか、地下アイドルのファンコミュニティとか、いつもの仲間が集まる小さなバーとか、小さな劇団とか、そんな感じなのかも。大きな経済圏から、手の届く範囲の経済圏へ。疲れないインターネット。

キヌガサの時代きた。