みんなはどこにも存在しない

例えばいじめられてる子が泣きながら「みんな違って、みんな良い」なんて言ってるところを想像してみると、なんだかどうもおかしな感じがしてしまう。多様性なんかを謳う時によく使われるこの言葉、結局のところ安全な多数派の中から投げかけられてるように感じてしまう。

「みんな違って、みんな良い(ただし法や常識の範囲内で)」なんてこっそり括弧付きだったり、その”みんな”には「みんな同じが良い(違いは良くない)」なんて思想を持つ人も含まれる、ってことを無視してたりするケースが多いのも、嘘っぽく聞こえる原因ですね。

人が呼びかけの中で使いがちな「みんな」という言葉には、多数派・正しい側である私から、その他のそうじゃない皆さんへ〜という意味が含まれることが多々あり、それは国民一億総活躍、みたいな言葉に覚える違和感とも近いような気がする。

「みんな」はどこにも存在しない。

あれだけ大人や先生の呼び掛ける「みんな」という言葉に気持ち悪さを感じていたはずなのに、無自覚に使ってしまいがちな自分に自戒も込めて。ついでに言うと、矛盾してる様だけど「人それぞれ」という言葉も議論や思考をそこで終わらせてしまうのであまり好きじゃないですね。