居場所としてのイスラム国

イスラム国に行こうとした北大生についての茂木健一郎さんのこの見解に激しく同意。イスラム国のあのプロモーション動画を見たときに、心揺さぶられるものが僕にもあったのを否定できない。 → 日だまりについて。 https://www.facebook.com/kenichiromogiqualia/posts/591372850989376

ちょうど上祐さんの「オウム事件 17年目の告白」読み終えたとこなんだけど、今回の件は多くの人が指摘してる様に、優秀な学生がたくさん入信したオウムと被るところがとてもある気がするよ。次はしんぺーに教えてもらった田原さんの「連合赤軍とオウム -わが内なるアルカイダ」読もうかな、と。

イスラム国やオウムの様な宗教がこぼれ落ちた子の居場所になりえる中で、ひとつの可能性として自分もそこに居場所を求めたかもしれないなと考えたら、ただ一方的に叩くような事は出来ないなと思う訳です。もちろん犯罪は許されることでは無いが、本当に紙一重だと思いながら生きている。

居場所の無い人間は崖っ淵をそろそろと歩いていて、バランスを崩せばいつでも向こう側に転落してしまう。その時そこに網があれば、どんな網であれ死に物狂いで捕まるだろう。自分が今のところ暴走する宗教を盲信してないのも、犯罪をおかしてないのも、ただ「たまたま」なんだと思う。紙一重なんだ。