心の穴

人が抱える劣等感や罪悪感や妬み憎しみ怒りなどを、僕は「心の中にある臭いを放つドロっとした液体の入った壺」だと今まで言ってきたが、二村ヒトシさんは著書の中でそれをシンプルに「心の穴」と定義していた。求める気持ちや人を傷つけてしまうネガティブな感情と共に、その人の魅力もその心の穴から湧き出てくる。

大事なのはその湧き出てくるネガティブな感情を自らふさいだり、他人に蓋を求めたり、コントロールしようとするのでは無く、自分で受け入れて、許してあげること。自分を承認できる人だけが、他人をも承認してあげられる。そしてその代替不可なドロ壺こそがその人固有の魅力となり、その人の物語になっていく。

なーんて事を言いながら、僕は僕自身の劣等感を自分で受け入れて許してあげられてたのか、自分でも再度考えてみている。ただ開き直ってただけじゃないのか。開き直りと自己承認はまた違う。みんなダメでも良いんだよ、なんて言いながら、居心地の良い場所で僕は開き直っていただけなんじゃないか。

自分自身の中に「とにかく認められたい」という激しい承認欲求の壺があるのは自分でもよくわかってるつもりなんだけど、どうもその感情と折り合いがつけられていない。もっと認められたいもっと愛されたいという気持ちが大事な人たちを傷つけている。みんなの相談に乗ったりしてるのはその裏返しなのかもしれない。

もっと愛されたい、もっと認められたい、と外に求めることは、内なる自分に執着することでもある。逆を返せば、内なる自分自身を承認し許すことが出来れば、外に求めることも、大事な人たちを傷つけることも無くなるだろう。自分を許さないまま、ただ僕は開き直っているだけな気がする。