人生ごっこ

生死感の希薄なこんな人生、壮大な”ごっこ”と思えばなんとかやりきれる。人生には生きる価値も、かと言って死ぬ価値も無いよ。家族ごっこ、親子ごっこ、学生ごっこ、会社員ごっこ、起業ごっこ、恋愛ごっこ、いじめごっこ。人生の意味なんて死の直前にしかわからない。どうせ”ごっこ”なら踊りたい。

一生なんて死ぬまで続く人生”ごっこ”。生きてりゃ悲喜こもごも色々あるけれど、”ごっこ”の視点から俯瞰してみれば全部大した事ない。即ち「どーでもよい」。喜びも悲しみも怒りも人生ごっこで全てどーでもよくしてしまえば僕らは何だって出来る。リスクなんてないよ、だって”ごっこ”だもん笑。

子供の頃やったごっこ遊び。おはよう、いってきます、ただいま、いただきます、おやすみなさい。ワンワン、ニャーニャー。役割を忠実に演じることも、途中で設定やストーリーを破天荒に変えることも自由に出来た。大人には出来ないなんて思い込みなんじゃないか。人生をかけたごっこ遊びをすればいい笑

会社や学校や世界や人生を、ごっこ遊びの視点で俯瞰してみる。そうすると全ては「そういう設定」に見えてくる。なるほどあいつはムカつく上司役なのか、と思えばどーでもよくなる笑。僕らを縛る”現実”なんて幻想、ごっこ遊びで希薄化して「どーでもよく」しちゃえばいい。設定を壊せるのは自分だけ。

仏教では「何事にも執着するな」と説く。執着が人を狂わせる、全てにおいてどーでもよくなっちゃえよ!という事である(曲解)。瞑想は脳内で世界をごっこ化させ、悟りは全てどーでもよくなる事である(曲解)。僕の考えなんか、とうの昔に説かれておりました。全部どーでもよい、これ即ち、許し合い。

子供の頃はごっこ遊びで何にだってなれた。レジャーシート一枚が豪邸に、机の上は宇宙に、公園だってディズニーランドにできた。子供にだってできるんだから、僕らにだってできるはず笑。人生や現実なんて嘘の設定、ごっこ遊びで壊しましょ。やりすぎて怒られても大丈夫、ごっこなんだからさ笑。