お金はコミュニケーションツール

見てくれてた方もいると思うけど、ツイッターで銀行口座晒し祭りをやってました(注・2013年7月当時)。銀行口座なんてさっさと晒してしまって、入金があればラッキーじゃんね笑。というよりは、入金する/される事で人と繋がる所に面白さがある。お金なんてコミュニケーションツールでしか無い。

お金なんてコミュニケーションツールでしか無いんだから、遊ぶ様に実験をする様に使った方が面白い体験が出来る。お金で色んな実験をして、従来のお金に込められた意味を無にしたい笑。紙幣の信用を担保するはずの国を信用出来ないなら、お金で楽しむしかない。

本屋に行くと「金を稼ぐ」「金を貯める」本ばかりで、「いかに金を使うか」なんてのはなかなか無いよね。経済成長期はそれで良かったのかもしれないけど、経済が成熟して今後低度成長しか見込めない時代には、お金をどう使うかが重要になる。クリエイティブな消費を考える。

コンピュータや途上国に仕事が奪われてく中で、労働時間はどんどん短くなっていく。その空いた時間で金をどの様に消費していくか。トンネル出口で渋滞を起こしてる会社で、働けど働けど昇進も昇級も見込めない中、働き稼ぐ良き労働者=良い人生、なんて前提は、とうの昔に崩れてしまってるよね。良い労働者から良い消費者へ。消費の仕方ひとつで人生が楽しくなるよ。

銀行口座を晒して人と繋がる。こんな実験をやると決まって、やれ”乞食”などと脊髄反射で言ってくる奴がいる。乞食でいいじゃん笑。ただ無思考に否定するのでは無く、それでは何故、乞食がダメなのかを自分の頭で考えろよ。僕は全く悪いと思わないよ。

本気で苦しんでなきゃ寄付を求めちゃいけないのだったら、不幸自慢にしかならないじゃん。俺が不幸だ、いや私の方が、そんな事やってても無意味でしかない。寄付を求める理由が面白いから寄付する、ただそれだけでいい。寄付はこうあるべき、なんて常識に囚われるからつまんなくなる。

そもそも「人は人を救う事なんて出来ない、ましてや救おうなんておこがましい」という前提に僕は思考する。例えば行き倒れの人がいて、気が向けば何か食べさせてあげれば良いが、気が向かなければ放置すればいい。ただそれだけの事だよ。