僕は血の繋がりにそれ程の意味を感じられずにいる。極論言うといくら血が繋がろうとそこにいるのは僕にとっても相手にとっても他人である。どこまで行っても他人である以上「わたしはあなたを一方的に愛する、それをあなたがどう思うかは知らないが」この態度しか無い。それ以上でも以下でも無い。

親だから、爺ちゃんだから、面倒を見なきゃいけない。最後まで看取らなきゃいけない。延命させなきゃいけない。その思い込みが自身を不自由にする。年寄りは若い人より先に死ぬ、その単純な前提に立つだけでいい。その上で自分がどう振る舞うか。そこで自分に責任を感じる必要なんて無い。

人間は血の繋がりに意味を見出そうとする。だけど所詮他人、わかりあえる訳なんて無い。血が繋がってるからわかりあえる、そんなの幻想だよ。わかりあえると期待するから、わかりあえない時に絶望する。わかりあえないのを前提に、どう一方的に愛するか。それしか無い。

血にしろ地にしろ、断絶の先にある孤独死は本当に悲しい。それを防ぐための人同士の新しい接続を考えなきゃって思ってる。それがLivertyだったりシェアハウスだったり起業だったり地方巡業だったりする訳で。血に依存しない擬似家族は孤独死しないための本能だと僕は思う。